式内 海潮神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 海潮神社

式内社 出雲国大原郡 海潮神社
読み:古 ウシホ、現 うしお
「出雲国風土記」得鹽社
江戸時代 「大森大明神」
所在地 島根県雲南市大東町南村字大森424
旧地名 出雲国大原郡
御祭神
宇能治比古命(うのじひこのみこと)
相殿 誉田別命(八幡宮)

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
大原郡(オホハラ):13座(並小)

近代社格制度 旧郷社

創建     年代不詳
本殿様式   大社造檜皮葺
例祭日 10月20日 例大祭

境内摂末社(祭神)

荒神社・歳徳神社

一口メモ

県道24号線「ご縁をつなぐ神仏の通ひ路」沿いの須我神社から南西へ5.2km、8分。残る雲南市(旧大原郡)の式内社めぐりをスタートするには、すでに午後5時前で日が沈みかけている。

歴史・由緒等

延喜式内社
元郷社 海潮神社御由緒
御祭神 宇能治比古命

当社の創立年代は、遼遠にして知る事はできないが、延喜式制に神祇官社に登録され、国幣小社に列格されている。此の事から思図れば、延喜の式制以前の創立であることは間違いなく、千数百年以前と想像される。
よって、明治33年11月氏子中相図り千年祭を斎行し、碑文を刻み記念碑を建立して後世に遺した。
出雲国風土記(約1270年前)に、宇能治比古命北の方海潮を押し上げて御祖須我弥命を漂はす、此の海潮此の地に至る故に此の地を得塩というとあり、命を祀り、得塩社とした。
神亀3年地名改正の令により、此の地を海潮と改められ、社名も海潮神社に改められた。
降って、出雲式社考或いは雲陽誌には大森大明神と称し、天正9年11月(約420年前)造営の棟札があり、以後17回の社殿造営の記録がある。
古来武将武門の崇敬篤く、中世の項、此の海潮の地を領した尼子氏の重臣牛尾弾正忠は、三笠城に拠り当社を祈願社と定め、社地社領の寄進をし、祈願神事に用いたと伝える獅子頭今も社蔵している。
明治維新までは、年々御札下げにて社領の寄進があったが、王政復古を期して廃止された。
明治5年1月新制度により郷社に列格、郡政下にあっては例大祭に郡長の参向が続き、明治・大正・昭和の初期までは大森さんと称して親しまれ、遠近を問わず崇敬されてきた。
創立以来千数百年、社地社殿等の移転もなく今日に至っている由緒ある神社である。
境内社 稲荷神社 恵美須社
八幡宮 高平社
社日社 総荒神社
鷺神社
三大祭
例大祭 10月20日
祈年祭  3月22日
新嘗祭  11月27日
平成13年10月20日
宮司 新田有一  識

「社頭掲示板」

境内・社叢

  
社号標             手水舎

   
狛犬


社頭掲示板


随神門

  
拝殿              拝殿扁額

本殿を撮ったはずだが、押せてなかったようだ。

境内社

  
境内社

  

地名・地誌

海潮(うしお)

『出雲国風土記』に、「宇能治比古命北の方海潮を押し上げて御祖須我弥命を漂はす、此の海潮此の地に至る故に此の地を得塩という。‥神亀3年地名改正の令により、此の地を海潮と改められ、社名も海潮神社に改められた。」

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考


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