お菓子の神様 式内 中嶋神社
概 要
社号 式内社 但馬国出石郡 中嶋神社
読み 古 ナカシマ 現 なかしま
江戸時代は「中島大明神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市三宅1
旧地名 但馬国出石郡安美郷
御祭神 祭神 田道間守命(タヂマモリ) 配祀 天湯河棚神(アメノユカワタナ)
例祭日 4月第3日曜日 橘花祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座 大37座(就中一座月次新嘗)小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
出石郡(イツシ・いずし):23座(大9座・小14座)
近代社格制度 旧県社
社格制度廃止後 官幣小社
創建 推古天皇15年(606)
本殿様式 二間社流造 檜皮葺 再建立 正長元年(1428年 (国重要文化財)
境内摂社(祭神)
相殿 安美神社
境内社 稲荷神社、秋葉神社、日尻神社、大森神社、若宮社、大神宮
文化財
本殿 附棟札1枚 (国指定重要文化財)正長元年(1428年)に再建
一口メモ
式内社の多い但馬の中でも、お菓子の神様として全国的に有名な神社。
歴史・由緒等
菓祖 中嶋神社由緒
御祭神 田道間守命
当神社の創立は甚だ古く、約1300年前の第33代推古天皇(在位592~628)の御代と言われ、現在の朱塗りの本殿は、今より約600年前の室町時代中期、正長元年(1428年)に、但馬の領主山名氏により建立されたもので明治45年国宝に指定されております。御祭神の田道間守命は韓国、昔の新羅の王子で、我が国に渡来して帰化し、ここ但馬の国を賜り、これを開発した天日槍命(旧国幣中社但馬一の宮出石神社の祭神)の曾孫で、第11代垂仁天皇の命を受け、当時の菓子としては最高のものとして珍重せられた「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」(橘…みかんの一種)を常世の国(現在の韓国済州島と言われている)に渡り長い歳月をかけ、艱難辛苦のすえ持ち帰りましたが、天皇は既に亡くなっており、命は悲嘆の余り、その御陵に「ときじくのかぐのこのみ」を献げた上、殉死されました。
ときの景行天皇(垂仁天皇の第三皇子)は、命の忠誠心を哀れみ、御陵の池の中に墓を造らせられましたが、推古天皇の御代になって、命の子孫で七代目の孫にあたる当地三宅に住む吉士中嶋の君と言う方が当社を創立し、命を祭られたと伝えられております。
中嶋神社の名は、御陵の中の命の墓が、中の島に見えるところから名付けられたと言われ、いのちをかけて「ときじくのかぐのこのみ」を持ち帰った命を、菓子の神様として祭るようになり毎年四月の第三日曜日を、橘菓祭(菓子祭)とし、全国より菓子業者の参拝もあり、招福・家業発展を祈願して、盛大に祭典が行われます。
「社頭掲示板」
菓子の神様として、広く親しまれいる。常世の国から橘の実を持ち帰ったとされる田道間守命をお菓子の神様として祀る神社。創立は非常に古く、約千三百年前の推古天皇(在位593~628)の御代とされている。
現在の朱塗りの本殿は、約六百年前の室町中期、応永(1394年 – 1428年)年間の火災の後、正長元年(1428年)に、但馬の領主 山名氏により建立されたもので、屋根を側面から見ると後方は短く、前方の軒先が流れ下っている二間流造(ながれづくり)で、室町時代の典型的な神社建築を伝えている。明治45年(1912年)に国宝に指定され、昭和26年より国指定重要文化財に指定された。神社本殿は一間社流造や三間社流造・五間社流造と奇数で、二間社流造は大変珍しい。出雲大社に代表される大社造りも二間だが、他の本殿様式は御神体のみが祀られているのに対し、入口は正面の右側に偏って配置される。入室でき、内部はさらに仕切られ、古代宮殿の形式を伝えるものと考えられる。
御祭神の田道間守命(タジマノカミ)は、韓国、昔の新羅の皇子で、我が国に渡来して帰化し、但馬の国を賜り、これを開発した天日槍命(アメノヒボコ)(国幣中社、式内大社 但馬一の宮出石神社)の曾孫で、垂仁天皇の命を受け、当時の菓子としては最高のものとして珍重された「非時香菓(トキジクノカグノコノミ)」(橘…みかんの一種)を常世の国(現在の韓国斎州島と言われている)に渡り、長い歳月をかけ、艱難辛苦のすr持ち帰ったが、天皇はすでにお亡くなりになり、命は悲嘆の余り、その御陵に非時香菓を献げた上、殉死された。
ときの景行天皇は、命の忠誠心を哀れみ、御陵の池の中に墓を造らせた。
推古天皇の御代になって、七代目の命の孫に当たる、この地三宅に住む「吉士中嶋(キチシナカジマ)の君がこの神社を創立し、命を祭られたと伝えられる。
毎年四月の第三日曜日を「橘菓祭(菓子祭)が行われ、全国より菓子業者の参拝もあり、招福、家業発展を祈願して盛大に行われる。(神社御由緒より)
境内・社叢
社叢 社号標
大鳥居 参道
中の鳥居 菓子祖 田道間守生誕地の碑
手水舎
お洒落な御神燈
社頭掲示板
非時香の木
狛犬
拝殿・幣殿側面 拝殿扁額
本殿 本殿側面
相殿 安美神社
本殿左境内社
本殿右境内社
地名・地誌
三宅(みやけ)
大和王権が全国に設置した直轄地、屯倉が置かれたことによるとされる。「屯倉」は『日本書紀』の表記。『古事記』・『風土記』・木簡では「屯家」「御宅」「三宅」「三家」とも表記される。但馬では養父市(関宮町)にも三宅という地名がある。また、新羅国から渡来し出石へ落ち着いてのちにヤマトへ移ったとみられる天日槍(あめのひぼこ)伝承を持つ氏族の中から名前の残っているものに糸井連と三宅連がある。
地図
交通アクセス・周辺情報
交通公共 JR豊岡駅より全但バス奥野行き「中嶋神社前バス停」下車すぐ。
交通・車 JR豊岡駅より東へ約6km。
駐車場 あり(台)
参 考
但馬の神社と歴史三部作
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