わら天神宮(敷地神社)
概 要
社 号 敷地神社
読み しきちじんじゃ
通称 わら天神宮、はら帯天神
所在地 京都市北区衣笠天神森町10
御祭神 主祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
配祀 天日鷲命・栲幡千千姫命
例祭日 春季大祭4月第1日曜日 秋季大祭10月26日
社格等
式外社
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式
境内摂末社(祭神)
摂社 六勝(稲荷)神社 綾杉明神
末社 大山祇神社
文化財
一口メモ
西大路通わら天神前交差点から西大路通を北へ約180m。大通りに面した中心部の神社は駐車に苦労するが、神社のすぐ北隣に参拝者用駐車場があってありがたかった。
歴史・由緒等
祭神のコノハナサクヤヒメは北山天神丘に古代から祭られていたが、1397年(応永4)足利義満が金閣寺造営のさい鎮守神として現在地に遷座した。安産御守として藁が授与されることから「わら天神」の通称があり、藁に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われている。昔から安産の神として‘はら帯天神’、‘わら天神’と称えられた。摂社の六勝神社は開運、学問の神としても知られる。
『京都観光NAVI』
古くは北山の神として、大古山背国葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、古くより土地の人々の信仰を集めていた。天長八年この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国より移住し、その地で崇敬していた管生石部神(敷地天神)の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく、北山の神の西隣に祀って、祭神を管生石部神の御母木花開耶姫命と定める。応永四年足利三代将軍義満が西園寺北山殿を山荘として造営するに方り、参拝に不便になり、両社を合祀し、現在地に移転、600年に至る。
境内・社叢
鳥居
社号標 鳥居扁額
鳥居脇狛犬
二の鳥居 手水舎
舞殿
拝殿 本殿
六勝(稲荷)神社
綾杉明神 大山祇神社
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
市バスわら天神前 徒歩約1分
参道の北隣と南を入るとすぐに参拝者用駐車場あり
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