九斗兵主神社
概 要
社 号 兵主神社
読 み:ひょうず
所在地 兵庫県美方郡香美町香住区九斗152-2
旧地名 但馬国美含郡佐須郷
御祭神 須佐之男命(スサノオノミコト)
配祀神 建御雷命(タケミカツチノミコト) 経津主命(フツヌシノミコト)
例祭日 10月2日
社格等
式外社
近代社格制度 無格社
創建 年代不詳だが、『国司文書・但馬故事記』に天武天皇白凰12年(683)
本殿様式 桁行一間、梁間一間、入母屋造、千鳥破風付、板葺 安永四年(1775)(棟札写)
境内摂末社(祭神)
一口メモ
豊岡自動車道佐津インターから県道256号線を佐津へ向かう途中。佐津川を挟んで東岸に式内佐受神社がある。九斗の南、奥佐津地区隼人にも兵主神社があり、この2箇所で但馬全兵主神社を制覇することになりました。集落奥の道は細いが通り抜けると立派な杜が開ける。
歴史・由緒等
由 緒
国司文書に人皇40代天武天皇白鳳12年夏5月美含郡椋梯部連小柄勅を奉じ兵馬器械を具し武事を講習す。且つ兵庫を久刀丘に設け以て兵器を蔵し嶋戸天物部之裔原造義踏を召して兵庫典鑰と為す。原造義踏は兵主神を久刀丘に祀り兵庫の守護神と為せり。
享保6年(1721)社殿を再建し、安政3年(1856)本殿を造立せり。
「兵庫県神社庁」
人皇40代天武天皇白凰2年(673)秋8月、椋椅(くらはし)部連小柄を以って、美含大領と為し、郡家を長井邑に置く。(今の美方郡香美町香住区小原)
椋椅部小柄は伊香色雄命(イカシコヲ)16世の孫なり。12年(683)夏5月、美含大領・椋椅部連小柄に勅を奉じ、兵馬器械を具え(備え)、武事を講習し、かつ兵庫(ヤグラ)を伊久刀ノ丘に設け、兵器を蔵む(貯蔵する)。
嶋戸天物部命の裔・原造義踏(ヨシトモ)を召し、兵庫の典鑰(テンヤク)*1と為す。原造義踏は、兵主神を伊久刀丘に祀り、兵庫の守護神と為す。(伊久刀丘は 今の香美町九斗から浦上の神ノ浦山あたり?)
また楯縫連(タテヌイノムラジ)彦麿を召し、楯を縫わしむ。
葦田首鞆雄(アシダノオビト トモオ)を召し、刀剣鉾鍬を鍛えしむ。
矢作連鷹取(ヤハギノムラジ タカトリ)を召し、弓矢を作らしむ。
楯縫連彦麿は、その祖・彦狭知命を楯縫丘に祀り、楯縫神社と申し祀る。(いま田宮というはこれなり)浅香村は縦縫氏の部属(ミヤツコ)なり。(今の多田神社 丹生地)
葦田首鞆雄は、その祖・天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)を鍛冶丘に祀り、葦田神社と申し祀る。(岡村の鍛冶宮・今の竈戸神社 上岡)
矢作連鷹取は、その祖・経津主命(フツヌシ)を矢作丘に祀り、矢作神社と申し祀る。(隼人の滝宮)*2『国司文書・但馬故事記』第六巻・美含郡故事記
[註] *1 典鑰 律令制において中務省に属した品官(ホンカン)である。和訓は「かぎのつかさ」。
*2 香美町隼人に矢作神社は現存せず、今は兵主神社がある。矢作神社が兵主神社となったのではないかと想定する。
境内・社叢
鳥居 境内
狛犬
本殿覆屋
境内社
地名・地誌
九斗
『国司文書・但馬故事記』に伊久刀
西の美方郡新温泉町に久斗山がある。久谷に八幡神社境内社兵主神社、豊岡市日高町にも式内久刀寸兵主神社があり、同浅倉(旧養父郡)に式内兵主神社、赤崎に式内伊久刀神社があるので、久刀と九斗、久斗・伊久刀は同義語であることがわかった。
地 図
交通アクセス・周辺情報
JR山陰本線「佐津駅」より南南西へ1500m
参 考
「兵庫県神社庁」、他
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