名神大・府社 大川神社
Contents
概 要
社号 式内社(名神大) 丹後国加佐郡 大川神社
所在地 京都府舞鶴市大字大川字徹光山169-1
旧地名 丹後国加佐郡大川庄、大川村
読み: 古 オホカハノ、現 おおかわ
御祭神 保食神(うけもちのかみ)
相殿 句句廼馳神(くくのちのかみ=木神)、軻遇突智神(かぐつちのかみ=火神)、埴山姫神(はにやすひめのかみ=土神)、金山彦神(かなやまひこのかみ=金神)、罔象水神(みつはのめのかみ=水神)
例祭日 4月23日 春季例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
加佐郡(カサ):11座(大1座・小10座)
式内社(名神大)
近代社格制度 旧府社
創建 「顕宗天皇乙丑年(485年)」社伝
本殿様式 入母屋造
境内摂社(祭神)
竈神社(澳津彦神、澳津姫神)・医祖神社(少彦名神)・病除神社(健速須男命)・興和神社 野々宮神社(御旅所)
一口メモ
名神大社大川神社のある大川は、一級河川由良川に沿って左岸を通る国道175号は、宮津街道と呼ばれ、この先で由良川の大川橋をまたぎ、北近畿タンゴ鉄道と共に舞鶴方面へ国道178号と分かれる交通の要所。
歴史・由緒等
加佐郡では唯一の名神大社で、「大河明神」とも書かれる。
丹後国の名神大社は七社で、加佐郡ではこの大川神社のみである。
(あとは与謝郡)丹後国内では籠神社に次ぐ伝統と格式を備えた神社(他に丹後で同格の神社は丹後二ノ宮の大宮賣神社・大虫神社・小虫神社)です。
由良川筋の村々の総鎮守であるばかりでなく、加佐郡内の大抵の神社にはこの社を勧請した祠が祀られている。
近世の文献には、大河大明神(田辺府志)、正一位五社大明神(丹哥府志)、天一大川五社大明神(旧語集)などと称され、祭神は保命神(田辺府志)、豊受持命(丹哥府志)、大川大明神・稲倉豊宇気持命(丹後旧事記)などと記されていて、一般には農耕に関係する神を祀る社と思われている。
農業の神・蚕の神であると同時に、漁民の信仰も厚く、祭には船に乗って参拝する風習もある。 社伝によれば、「顕宗天皇乙丑年(485年)に宮柱を立て鎮祭、神位は貞観元年(859年)に従五位、同13年(861年)には正五位下に昇進した」とある。延喜式神名帳においては名神大社に列せられ、また六国史所載の神社である。近世に至り、田辺藩主細川氏の保護を受けた。
1872年(明治5年)に郷社、1919年(大正8年)に府社に列せられた。 五穀豊穣、養蚕および病除、安産の守護神として近隣に知られ、北陸や関西地方からの参拝者も多い。
大川神社御由緒
当神社の開創は、5世紀末の顕宗天皇元年(485)4月23日、宮柱を立て鎮祭し たところから始まったとされています。
その後天武天皇元年(676)には勅使をも って幤帛が捧げられ、さらに持統天皇7年7月(693)には「祈雨の政」が行われ たことを伝えています。
平安朝に入ると、貞観元年(859)には神位の昇進があり 、10世紀には延喜式内社名神大社に列し、丹後国の著名な古社であります。
下って明治5年郷社となり、大正8年府社になり、大川大明神と尊称されて来ました 。主神は保食神・相殿には句々廼馳神(木神)・軻遇実智神(火神)・埴山姫神(土 神)・金山彦神(金神)・罔象女神(水神)の五元神が祭祀されています。例祭は4 月23日、大祭は11月3日で御輿渡御、氏子から種々の奉納行事があり、伝説も数 多く、什物として室町時代「享徳二年(1453)」の銘がある特異な形の鎌鑓があります。
境内・社叢
![]()
一ノ鳥居 一ノ鳥居にかかる大扁額
![]()
ニノ鳥居 手水舎
![]()
神社由来案内碑
![]()
中門(御神門) 拝殿
![]()
![]()
狛犬と境内社
![]()
向拝・本殿
![]()
向拝柱彫刻
![]()
本殿 このあたりではやはり最大
![]()
さざれ石 摂社
![]()
舞殿のようだが改築中 神社の手前左手に藁葺き屋根の邸宅 おそらく神官舎では?
![]()
摂社 野々宮神社(御旅所) 由良川のほとりにある
この社の背後は由良川で、かつてはここの船着場から参拝していたのであろう。
地名・地誌
大川 加佐郡 江戸期~明治22年 大川庄、大川村 明治22年 岡田下村 昭和30年 加佐町 昭和32年 舞鶴市 大川は舞鶴市の西部。大川とは由良川のこと。由良川下流左岸に位置する。由良川に架かる大川橋のたもと、南側の集落。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「神詣」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん、『延喜式の調査』さん

0件のコメント