多治神社(式内 多沼神社)
概 要
社 号 多治神社(式内社 多沼神社)
読 み 古 タヒチ、現 たじ
所在地 京都府南丹市日吉町田原字宮後2
旧地名 丹波国船井郡
御祭神 大山咋命 天太玉命
例祭日 10月14-15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
船井郡(フナイ):10座(大1座・小9座)
近代社格制度 旧郷社
創建 慶雲年間(704~708)
本殿様式 二間社流造
境内摂社(祭神)
文化財
多治神社本殿 附 棟札5札 府登録文化財
多治神社文化財環境保全地区 府文化財環境保全地区
「田原の御田(おんだ) 国の重要無形民俗文化財
カッコスリ 京都府無形民俗文化財
一口メモ
日吉駅(京都)から府道50号線を南東に進む。
220 mで左折して 府道19号線 を4 kmの西側。
府道でも道が新しくまっすぐで、バイクのツーリンググループなど対向車が多かった。京北町からドライブコースになっているのかナ。砂利位が敷き詰められ、石灯籠が並ぶ参道は壮観。
歴史・由緒等
神社誌によれば、奈良時代の慶雲年間(704~7)に天智天皇第三皇子田原左大臣により創祀された。
神階、正一位 延喜式内社(国史所載)
創祀は慶雲元年(七〇四)。
御祭神は天太玉命・大山咋命。
天智天皇の第三皇子施基親王が勧請した。元は田沼神社と言ひ、田原と誤記したものが定着したとされる。延喜式内社・郷社。
殿垣内(小多治神社の辺り)に住んでゐた三条実雅が建立御供田料拾貫文を寄進した。
境内・社叢
社頭案内板
手水舎 本殿前には樹高約十六メ~トルのタラヨウの高木二本があり神々しさをかもしだしている。
神楽殿(舞殿)
本殿 本殿側面
本殿右手境内社
本殿奥の境内社
境内前の茅葺小屋 舞殿か?。
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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