官幣中社 大原野神社
概 要
現社 号 大原野神社
読み:おおはらのじんじゃ
別称:京春日(きょうかすが) 奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けた
所在地 京都市西京区大原野南春日町1152
旧地名 山城国乙訓郡大原野村
御祭神 天神立命(あめのかみたちのみこと)
春日神(以下4柱の総称)
武御賀豆智命 (武甕槌命)
伊波比主命 (経津主命)
天之子八根命 (天児屋根命)
比咩大神 (比売神)
例祭日 6月5日
御田刈祭(みたかりさい)・大原野相撲 9月の第二日曜日
社格等
古代社格制度 式外社 (国史見在社)
中世社格制度 二十二社(中七社)
近代社格制度 旧官幣中社
社格制度廃止後 別表神社
創建 延暦3年(784年)
本殿様式 一間社春日造(4棟)
境内摂末社(祭神)
境内摂社 若宮神社
境外摂社 樫本神社
境内末社
八坂社・稲荷社・八幡社(相殿恵比須社・白髭社・藤森社)・祓戸社
一口メモ
大原野は国道9号線を亀岡から老ノ坂峠を越えて京都市内へ入り、または京都縦貫自動車道水掛ICから南へ約10分 約3km。
歴史・由緒等
延歴3年 桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれました。藤原氏の人や多くの供奉の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにしたのが当神社の起りです。
その後、約60年を経た 嘉祥3年(850)に左大臣藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇は冬嗣長年の願望を想い出して、壮麗な社殿を造営されました。
奈良春日社と同じ藤原氏の氏神を祀る大原野神社はそれに準ずる扱いを受け、二十二社に列した。明治4年に官幣中社に列した。
大原野神社の御本殿の第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣(ひめ)大神が祀られ、摂社若宮社には天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っています。古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤いのです。
『神社公式サイト』、ウィキペディア
境内・社叢
一の鳥居 社号標
一の鳥居鳥居扁額 二の鳥居
鯉沢の池 摂社若宮社
文徳天皇が奈良の猿沢池を模して造ったと言われる。
背和井 三の鳥居
拝殿案内板
鹿の狛犬
本殿
境内摂社 若宮社
末社 祓戸社 八坂社・稲荷社・八幡社(相殿恵比須社・白髭社・藤森社)
地名・地誌
大原野
大原野は国道9号線を亀岡から老ノ坂峠を越えて京都市内へ入り、西京区から向日市・長岡京市・大山崎町一帯で、洛西、西山ともいわれる。古来より現在の西京区や右京区を含む地域には、渡来系の一族である秦氏が居住していた。この秦氏の氏寺的な存在が右京区の広隆寺で、祭祀が行われたのが松尾大社であると言われている。西京区の山田地区には秦河勝末孫の東家の墓が京都市街を見守るように立っている。
隣接する丹波国桑田郡式内社に亀岡市(旧桑田郡)にある松尾神社・大井神社・走田神社・愛宕神社と同名神社があるのも、そうした秦氏の関係が深いことが伺われる。
地 図
交通アクセス・周辺情報
車 京都第二外環状道路「大原野IC」から車で約7分 約3km
京都縦貫道「沓掛IC」から車で約10分 約3km
神社上手に広い駐車場がある
公共 阪急桂駅もしくは阪急東向日駅 市バス臨西2番に乗車 終点「南春日町」下車(乗車時間20分)
山の方へ向って徒歩7~8分
ホームページ 『神社公式サイト』
参 考
「神社公式サイト」・「延喜式神社の調査」さん、他
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