式内 手谷神社(和田山町寺谷)
概 要
社号 式内社 但馬国養父郡 手谷神社
読み:古 テタニ 現 てだに
江戸時代は「岡大明神」と称していた
所在地 兵庫県朝来市和田山町寺谷字宮ノ下162
旧地名 但馬国養父郡石禾(いさわ)郷
御祭神 少彦名命(スクナビコナ)
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
養父郡(ヤフ・やぶ):30座(大3座・小27座)
式内社
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神) 弁天社
一口メモ
盈岡神社とともに石和郷に2つある式内社のひとつ。が存在する。偶然だろうかと思っていた。「校補但馬考」に、太田文によると、土田(ハンダ)郷は、土田・寺谷・東谷・平野の4村。寺谷の北の室尾山がある。「校補但馬考」に、当山は、朝来郡養父二郡の境にあり、往古、八幡宮を勘請し、法宝寺・正眼寺・七賢寺の三寺でこれを三職と号していたが、中古以来仏事のみ行い、八幡宮はただ鎮守とする、とある。
寺谷という地名は、西の糸井郷に寺内という地名もあり、それらと関係があるのだろうか。
歴史・由緒等
出石郡にも同名の式内社手谷神社が存在する。
盈岡神社とともに石和郷に2つある式内社のひとつ。寺谷の北の室尾山がある。『校補但馬考』に、当山は、朝来郡養父二郡の境にあり、往古、八幡宮を勘請し、法宝寺・正眼寺・七賢寺の三寺でこれを三職と号していたが、中古以来仏事のみ行い、八幡宮はただ鎮守とする、とある。
寺谷という地名は、西の糸井郷に寺内という地名もあり、それらと関係があるのだろうか。寺谷が手谷に転訛したのだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。
『国司文書・但馬故事記』に、
人皇五一代平城天皇大同2年(807)夏4月、
出石郡司高橋臣義成の末裔・高橋臣義材(よしき)を夜夫郡司と為す。
高橋臣義材は、その祖・手谷神を石禾(いさわ)邑に祀る。石禾邑はその所領なり。
境内・社叢
鳥居
境内 拝殿(本殿覆屋)
境内社
地名・地誌
但馬国養父郡石禾(イサワ)郷は、土田(ハンダ)・寺谷・東谷・平野4村。この地域は江戸時代までは石和郷(石禾郷)と称され、その後石和郷・土田(ハンダ)郷に別れ、石和庄、高田庄、土田庄などと呼ばれた時代もありました。隣接する藤和や大塚(養父市)がこの地域の一部であった時代もあったようです。明治まで養父郡大蔵村で、1955年(昭和30年)3月31日 – 和田山町と東河村が合併して和田山町に、大蔵村と糸井村が合併して南但町になり、1956年(昭和31年)9月30日 – 和田山町、竹田町、南但町が合併し、朝来郡和田山町となった。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
但馬の神社と歴史三部作
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