式内 日岡神社
概 要
社 号 式内 日岡神社
読み:ひおか
江戸時代は「日向大明神」
延喜式神名帳 式内社 播磨国賀古郡 日岡坐天伊佐々比古神社
読み:ヒオカニマスアメノイササヒコ
所在地 兵庫県加古川市加古川町大野1755
旧地名 播磨国賀古郡
御祭神
主祭神 天之伊佐々比古命(あめのいささひこ のみこと)
配祀神 天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) 豊玉姫命(とよたまひめ のみこと) 鵜草葺不合命(うがやふきあえず のみこと) 市杵島姫命(いちきしまひめ のみこと)
例祭日 10月20日 10月第2日曜日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
賀古郡(カコ) 1座(小)
近代社格制度 旧郷社
創建 伝・天平2年(730)
本殿様式 コンクリート権現造銅板葺
境内摂末社(祭神)
居屋河原日岡神社(大鳥居神社)
祭神:天伊佐々彦命
高御位神社・天満神社・稲荷神社・恵美酒神社・住吉神社・熊野神社
文化財
宮内庁指定 景行天皇皇后日岡陵
一口メモ
加古川市唯一の式内社。日岡神社は加古川の東岸にある標高50mほどの丘陵に位置している。
歴史・由緒等
由 緒
天平の時代の創建。第12代景行天皇の皇后である稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)が最初のお産が難産で大変お苦しみになられたため、次に皇后がみごもられた時に、天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと/当神社の主祭神)が七日七夜祖神に安産を願い、無事双子の皇子を御安産なされました。
その言われから当社は安産の守り神として、今日も近郷より大勢の参拝者があとをたちません。
-「兵庫県神社庁」-
祭神
927年(延長5年)に完成した『延喜式』神名帳によると「日岡坐天伊佐佐比古神社」と記されており、祭神が「天伊佐佐比古」という神だということが分かるが、奈良時代の『播磨国風土記』には、日岡には大御津歯命の子の伊波都比古命という神がいるとあり、『延喜式』と相違している。奈良時代から平安時代までの間に祭神が変化したのか。天伊佐佐比古にしろ、大御津歯命にしろ、伊波都比古命にしろ、記紀やその他の文献にはみえない神で、詳しいことは不詳である。
境内・社叢
大鳥居
随神門
常夜燈 広い境内
手水舎 社頭案内石板
境内左手
拝殿 安産の守り神らしく今年の絵馬がかわいいイラスト
拝殿
本殿
本殿左境内社 天満神社 恵比寿神社
稲荷神社 本殿右境内社 高御位神社
境内右手 居屋河原日岡神社
かつては日岡山の当社のほか、居屋河原(寺家町)にも日岡神社があり、兄弟社とされていたが1969年(昭和44年)に火災で全焼した。1971年(昭和46年)、居屋河原の日岡神社を当社と合併し、境内社・大鳥居神社として再興した。
手水舎 拝殿
狛犬
本殿
境内入口左手境内社 住吉神社・熊野神社
地名・地誌
日岡
『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』では、景行天皇(けいこうてんのう、応神天皇(おうじんてんのう)という説もある)がこの丘の上に立ち、「この国、丘と原野いと広くして、この丘を見るに鹿児(かこ)のごとし」と述べたという。つまり日岡こそは、加古という名の発祥の地なのである。
日岡には古墳が数多く知られている。公園として整備された丘には、日岡山古墳群が広がっている。褶墓(ひれはか)を含め、合計5基の前方後円墳と3基 の円墳からなる前期の古墳群と、およそ20基の円墳からなる後期の古墳群で、外観だけではあるが、いくつかは見学もできる。
「兵庫県立歴史博物館」
地 図
交通アクセス・周辺情報
日岡陵
日岡神社に隣接している前方後円墳。第12代景行天皇の皇后播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめ)の陵。現在、宮内庁により陵墓指定・管理されているため、学術的調査は行われていない。日岡山陵、褶墓古墳ともいう。
ホームページ
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
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