式内 法吉神社
概 要
社 号 式内社 出雲国島根郡 法吉神社
読み:古 ノリヨシ、現 ほっき
慶安元年(1648年)の棟札に「大森大明神」
享保2年(1717年)の地誌『雲陽誌』には「大森明神」
所在地 松江市法吉町582
旧地名 出雲国島根郡
御祭神
宇武加比比賣命(うむかひひめ のみこと)
配神 天児屋根命、天太玉命
合殿(坡神社) 思兼命
例祭日 10月21日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国 187座(大2座・小185座)
島根郡(シマネ):14座(並小)
『出雲国風土記』「法吉社」
近代社格制度 旧郷社
創建 白鳳時代創立とするが不詳
本殿様式 大社造
境内摂末社(祭神)
一口メモ
田原神社から鹿島町の佐太神社へ向かう県道37号線を北上すると西側にある。松江市橋北で最も市街地にある島根郡の式内社。
歴史・由緒等
旧社地は現社地の北東にあるうぐいす台の団地の裏手にあり、その側に「伝宇武加比売命御陵」とされた方墳があり、公園として整備されている。
『出雲国風土記』島根郡法吉郷条に、宇武加比売命が法吉鳥(ほほきどり、ウグイスのこと)に変身してこの郷に飛んできて鎮座したためにこの地を法吉と呼ぶようになったという説話が描かれている。宇武加比売命は大国主の神話に登場する蛤貝比売(うむぎひめ)と同一神と見られる。『出雲国風土記』では「宇武賀比売命(うむかひめのみこと)」と表記する。
合殿となった坡神社(つつみ-)は元々は神社の北方の比津町にある智者が池に鎮座していた祠である。
延喜式神名帳に記載せられ給い又出雲国風土記に神祇官に在りと記され給う神祠に坐せり。謹で神代史を按ずるに宇武加比比売命は神魂命の御子に坐して大己貴命(大国主命)八十神の災いに遭い坐せり時に大命を蒙りて其御痛所を治療し給はん為支佐賀比比売命と倶に降臨し後此地に移り坐して経国の大神業を翼賛し給いつつ鎮まり給えり。命の御事跡斯の如く坐しませんが故に畏くも文徳天皇の御宇嘉祥4年6月神階正六位上を授け奉り給い延喜御制には其の功績に依り官弊小社に列し給いたり。古来其の宮所を宇具比須谷と称す、此所に御来坐ませりし時鶯に化して御来坐ませし御故事に依ってなり。又出雲風土記には命のホゝキ鳥に化して飛渡り此所に鎮座せり故に法吉と云う。降って永禄頃に至り戦争あり村内なる白鹿城同6年9月陥落せり其の影響御社域に波及し■く御仮殿に御鎮座あり後現今の地に造営し奉れり。今猶祭神古墳の背面御旧跡に礎石残存す。当社は創業年代不詳なれど古伝に依れば白鳳年間創立なりと。配祀天児屋根命 天太玉命は人皇48代称徳天皇の御宇天平神護元年9月朔日の勧請なりと。
嘉祥4年9月21日奉幣使参向の事ありて其の時菊花の御紋章を御神紋と為す事を許され給えり。御社域樹木森然たるを以て大森大明神と称し奉りき。明治5年3月郷社の列に入り給う。明治43年10月10日島根県告示第380号依り神饌幣帛料を供進し得べき神社に指定せられたり。「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 狛犬と参道石段
年代を感じさせる社号標 手水鉢
拝殿 拝殿額
本殿
境内社
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