洲本市 兵庫(淡路国)

式内 由良湊神社

概 要

社号 式内 由良湊神社
読み:ゆらみなと
江戸時代は「王子権現社」
延喜式神名帳 式内社 淡路国津名郡 由良湊神社
読み:ユラノミナト
所在地 兵庫県洲本市由良3-5-2
旧地名 淡路国津名郡
御祭神
主祭神 速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)
配祀神 速秋津日売神(ハヤアキツヒメノカミ) 品陀和気尊(ホンダワケノミコト)
例祭日2月11日 ねり子祭り、7月31日 夏越し祭り

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』式内社
南海道 163座 大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
淡路国 13座(大2座・小11座)
津名郡(ツナ) 9座(大1座・小8座)

近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式   流造

境内摂末社(祭神)

戎(恵美須)神社

調べた範囲で当社摂末社ではないと思われるが、神社HPに岬まつりに掲載されている神社
金刀比羅神社、出石神社(生石神社とも)(由良湊神社が管理されている)

大漁と海上安全を祈願する漁師町ならではの祭です。岬祭 宵宮には、各町の代表者らが町別の太鼓の練りとともに、提灯を片手に由良湊神社に参拝します。当日は 御神酒とかけのうお(鯛やヒラメを縄で結わえたもの)のお供えを持ち、漁船から海上をお祓いした後、出石(いずし)神社、事代主神社、厳島神社、金刀比羅神社、成山(なるやま)神社の順にお参りします。

一口メモ

ナビでは金比羅神社西側の山道を指していたので時間がかかった。海沿いの県道からの方が分かりやすいのにスマホのGoogleナビは距離が遠いと微妙に違う地点を指すことが多々起きる。淡路島最東南端の式内社。由良港の沖合に成ヶ島という細長い島が、天然の防波堤のようになっており、紀淡海峡は本州の紀州から最も近い淡路島の玄関口として交通・軍事の要衝だった。紀伊半島、淡路島、四国が同じ南海道というのも頷ける。出石神社に寄り道するのを忘れてしまい残念。

歴史・由緒等

当神社の創立年代は不詳ですが、この地に居住していた人々によって、由良水門の鎮護として祀られたものと思われます。

中世の状況については、『朝野群載』に僅かな記述があるのみで詳細は不明ですが、八幡神の信仰が全国的に盛んになるにつれ、いつしか八幡宮が祀られたようです。

近世、成山城城主の池田忠長が、現由良小学校地に在った八幡宮を再興して氏神と定め、由良湊神社を境外摂社としました。

次いで、阿波・淡路両国の領主蜂須賀氏も成山城を居城としましたが、寛永年間に「由良引け」を断行し、国府が洲本へ移りました。

この時、藩邸を築く為に八幡宮を湊神社の境内に移して社殿を造営しました。

明治3年に両社を合併して、延喜式の社名「由良湊神社」と称し、現在に至っています。

-『神社公式サイト』より-

境内・社叢

社頭

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鳥居                   東鳥居 やや高い位置にあり由良港が望める

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社号標              手水舎

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狛犬

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拝殿
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本殿・拝殿

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本殿左境内社 戎(恵美須)神社      境内裏手左 稲荷神社

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金刀比羅神社              左境内社

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右境内社                 出石神社(神社公式サイトより)

出石神社

本社から南南東の淡路島最東端に鎮座する。(参考まで)

日本書紀巻第六に、垂仁天皇の御代、新羅国の王子天日鉾が八種の神宝を携えて渡来し、播磨国の宍粟邑と淡路島の出浅邑に住むことを許されますが、希んで諸国を巡ったのち、但馬国に定住し神宝を祀りました。 天日鉾命の曾孫清彦の時、天皇の求めに応じ神宝の全てを献上しますが、此の内の一つ出石の刀子のみ宝府より失せ自ずから淡路島に遣ってきました。 これを島人が神として祀ったとされます。即ち当神社の創りです。

沿革
・清和天皇貞観九年(867年)10月神階従五位上を賜る。
・漁撈海上安全守護の神として尊崇されるが慶長年間の一時期廃絶の危機にあった。
・享保20年(1735年)に再興され後修築を重ねる。

・近年では昭和62年4月に社殿を修築。旧来の宮地の山肌崩落を懸念し、改めて此所を選定して大宮地を造成し新社殿を造営、平成17年3月5日遷座祭を執行。また、生石神社周辺は公園として整備されています。

-「神社公式サイト」-

地名・地誌

由良

由良港は天然の防波堤とも言うべき成ヶ島が形作るラグーンの由良湾内にあり天然の良港である。

奈良時代に南海道が整備されると、海上交通の要衝として栄えた。淡路上陸の要所として古より栄え、延喜の制では(南海道の)由良駅が置かれ馬五頭が配されていたほどであった。
江戸時代初期の慶長18年(1613年)には池田忠雄が成ヶ島に成山城を修築して城下町となったが、寛永8年(1631年)には「由良引け」で洲本へ城を移している。寛永から明和年間にかけて蜂須賀氏により由良湾北側の新川口と南側の今川口の両水路が開削されると、江戸と大坂を結ぶ菱垣廻船の重要な寄港地になった。
明治22年(1889年)に由良要塞の建設が開始されると司令部が由良の町に置かれ、砲台や堡塁が生石山や成ヶ島に築かれるなど、由良港一帯は要塞となった。これらは第二次世界大戦まで使用された。
かつては洲本港⇔深日港(深日海運→シャトルサービス)の航路のうち1往復が由良港に寄港していたが、現在では成ヶ島への渡し船があるだけで、貨物港と漁港としての機能が主である。
(ウィキペディア)

地 図

兵庫県洲本市由良3-5-2

交通アクセス・周辺情報

公共 淡路交通「由良支所前バス停」下車、徒歩5分
車 県道76号線から由良小学校北
駐車場 なし

ホームページ 『神社公式サイト』

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

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