式内 神波多神社
概 要
社 号 式内 神波多神社
読み かみはた かんはた
古来から「波多の天王」と呼ばれていた
延喜式神名帳 式内社 大和国添上郡 神波多神社(鍬)
所在地 奈良県山辺郡山添村中峯山309
御祭神 神須佐之男命(かみすさのおのみこと) (合祀) 櫛稻田姫神(くしなだひめのかみ) 春日大神(かすがのおおかみ)
例祭日 天王祭り 10月第四土曜日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
添上郡(ソフノカミ):37座(大9座・小28座)
近代社格制度 旧懸社
創建 年代不詳
本殿様式 五間社流造桧皮葺、礎石建てで、千鳥、向唐破風(むかいからはふう)によって外観に変化をもたらせた手法が用いられている
境内摂末社(祭神)
八柱神社・六柱神社・熊野社・津島社・山神・稲荷社・佐田社
文化財
本殿 奈良県指定文化財 江戸時代前期(十七世紀中頃)
正和元年(1312)の石灯籠(村指定文化財)
一口メモ
山添村役場から北東2km、北は京都府、東は三重県となる県境。道路から長い石壇が続く。車道がないかとさがすが諦めて登る。朱塗りの一の鳥居と中間に二の鳥居。写真を撮ったはずだがシャッターが押せてなかったようだ。
歴史・由緒等
神波多神社(牛頭天王)は、「延喜式」神名帳(927)にその名が見られる古社で、「延喜式」臨時祭に畿内堺10ケ所に祀った疫神のうち「大和与伊賀堺」に祀られた疫神であると考えられている。
また、本殿西方から出土した平安期の古鏡や、正和元年(1312)の銘を刻む石灯篭(村指定丈化財〕があるなどから、かなり古くから信仰を集めていたようである。
天正9年(1581)織田信長の伊賀攻めの際に兵火に遭ったと伝えられ、縁記等の資料を欠き沿革の詳細は明らかでない。
当社の祭神は、素盞鳴命のほか春日大神・櫛稲田姫命を祀る。
古来から「波多の天王」と呼ばれ、大和・伊賀・山城など広くにわたり崇敬者が多い。
江戸時代前期(17世紀中項)の建立と推定される本殿は、奈良県指定文化財(建造物)である。建立以未一度も根本的な解体修理がなかったことから各部が緩み放置できない状態になっていたので、保存のため平成6年から同7年(1995)にかけ初めての解体修理が行われ、創建当時の姿に戻った。
主なお祭は祈年祭(2月25日)祇園祭(旧6月13日)
例祭(10月15日)新嘗祭(11月25日)である。
山添村教育委員会
「社頭掲示板」
境内・社叢
社頭掲示板
手水舎
拝殿(拝殿の前が狭く、正面から社殿を撮影できない) 拝殿扁額「牛頭天王」(スサノオの別名)
拝殿から本殿 本殿
狛犬
八柱神社・六柱神社 佐田社
熊野社・津島社・山神・稲荷社 本殿前の石灯籠 正和元年(1312)の銘(村指定文化財)
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
自家用車で…①名阪国道山添IC下車約3.5㎞
②名阪国道五月橋IC下車約1㎞
交通機関で…①JR・近鉄天理駅から国道山添行きバス
国道山添バス停下車徒歩約3.5㎞
③上野市駅から国道山添行きバス
波多野神社前バス停下車すぐ
参 考
山添村観光協会
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