式内  咋岡神社(京丹後市峰山町)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 式内社 丹後国丹波郡 咋岡神社
読み;古 クヒヲカ、現 くいおか
江戸時代は「篠箸大明神」と称していた
所在地 京都府京丹後市峰山町赤坂字宮向29
旧地名 丹後国丹波郡
御祭神 保食神(うけもちのかみ)
文化七年(『丹後旧事紀』)篠箸大明神、豊宇賀能売命
慶応四年(『社寺奉行書上』)篠箸大明神二坐、保食命、草野姫命
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国:65座 大7 小58
丹波郡[タハ]:9座 大2小7

近代社格制度 旧村社
創建     年代不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

一口メモ

京丹後市峰山町から網野町へ通じる府道17号の峠境、赤坂の式内社。赤坂は、赤坂今井墳丘墓がある。

歴史・由緒等

文化七年『丹後旧事紀』祭神 篠箸大明神、豊宇賀能売命
咋岡神社は、むかし久次村の咋石嶽にまつっていた豊宇気持命であったが、一色の武臣飯田越前が神領や神殿の破却するのを惜んで、峯山に遷し、その後赤坂村にまつった。宇気持ノ神の化身が豊宇賀能売命である。一説に、この遷宮は天正年中で、飯田越前守は一色義道の武臣である。

『峰山郷土志』

天保十二年『丹哥府志』
久次村は咋(くい)がなまって久次(くじ)となり、今久次(ひさつぎ)と読む」と村名を解説し、咋岡神社は、「この久次村の久次ヶ嶽にあったが、応仁の頃(一四六六~一四六七)一色義直の臣、飯田越前が赤阪村にうつしてまつり、そのわけはしらない。今は篠箸大明神といい、峯山家中の産砂神で、祭は九月九日であるとして、天正年間(一五七三~一五八三)以前に久次から直接赤阪に移したように書いている。

慶応四年(『社寺奉行書上』)
篠箸大明神二坐、保食命、草野姫命(御霊は二柱とも実幣)、『延喜式神名帳』にのっている咋岡神社はこれである。

元々は久次の咋石嶽の頂上(一説に麓)にあったものだといわれている。咋石嶽は現在久次岳と呼ばれているが、真名井嶽ともいい、宇気持神(保食神)の天降地で山頂に2間四方の岩を神として祀っていたと言われている。麓の神所段に降ろされ荒れていたのを、一色氏の将飯田越前が吉原庄嶺山、吉原山城のふもと(北谷町)に移し、その後赤坂村へ移したという。

境内・社叢


鳥居

  
鳥居脇の境内社              拝殿

  
拝殿扁額                 拝殿・本殿


社殿より上に境内社

地名・地誌

地 図

京都府京丹後市峰山町赤坂29

交通アクセス・周辺情報

参 考

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