式内 兵主神社(黒井)
概 要
社 号 式内 兵主神社
式内社 丹波国氷上郡 兵主神社
通称:春日兵主神社
読み 古 ヒャウズ 現 ひょうず
所在地 兵庫県丹波市春日町黒井2967
旧地名 丹波国氷上郡
御祭神大名持大神(大国主大神)(おおなもちのおおかみ(おおくにぬしのおおかみ))
少名持大神(すくなもちのおおかみ)=少彦名命
天香具山大神(あまのかぐやまのおおかみ)
恵比須大神(えびすおおかみ)
例祭日 10月9日
社格等
『延喜式神名帳
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
氷上郡(ヒカミ):17座(並小)
近代社格制度 旧県社
創建 746年(天平18年)
本殿様式 流造 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
一口メモ
JR福知山線 黒井駅 徒歩10分。舞鶴若狭自動車道春日ICを北近畿豊岡道・春日出口・丹波方面に向かって進む。春日IC前交差点を左折して、国道175号線に入る (大阪・明石の表示)。 1.2km進み、六反田(交差点)を右折する。180 mで左折して、県道285号線に向かう。
280mで右折して、県道285号線に向かう。260 mで黒井駅前(交差点) を直進して、県道285号線 に入る。
300 mで左折してそのまま県道285号線100 m進む。
正面の参道はもう少し先のカーブで、長い参道を歩くべきだが、車なら近くまで行けるので、氷上高校標識で斜め右に折れる。180 mで高校女子バレーで知られる氷上高校前を左折する。目的地は270 m前方左側。駐車場はなさそうだったので路駐。
歴史・由緒等
病気平癒、交通安全、商売繁盛、福徳開運の神で、戦国時代からは特に疱瘡の守り神として有名です。
関白近衛家とゆかりが深く、数々の献上物が宝物として保存されています。
鳥居の額もその一つで、文化11年、時の内大臣・近衛基前が自ら揮ごうして寄進したもので、畳約一畳の大きさがあります。
(丹波市公式観光情報サイト)
神社由緒
当神社は聖武天平十八年(七四六年)に兵庫の守護神として鎮祭され、延長五年(九二七年)に撰進された「延喜式神名帳」によると兵主神社は全国に十九社あり、丹波国一社として登載された「式内社」であります。
公家武家丹波但馬播磨等をはじめ各地の人々の崇敬厚く、特に戦国時代からは疱瘡の守護神として主上御疱瘡の時、または皇子誕生の際には内侍局より御代参を立てられました。近衛関白家は代々崇敬厚く、左大臣近衛信尹のぶただは外戚の縁により慶長十年五月二十六日心願の為参拝、神前に「祈るかひあるにつけても藤原にかかる契りや春日部の郷」の歌を献詠、数多の寄進をされております。その時の行列は、「御長刀一振、御供廻り刀さし八人、立笠一、都合十人、台傘一、挟箱二、鳥籠二、竹馬一荷」であったといわれております。
文化十一年、内大臣近衛基前は自筆の鳥居額「兵主社」を寄進されましたが、その時京都より沿道の住民が人夫になって御供をしました。
また寛永二年、近衛忠熈ただひろは其子忠房の疱瘡安全祈祷を行い、程なく全快され、その報賽として種々の献上物があり、今に神社宝物として保存されております。
由 緒
聖武天平18年(746)、兵庫の守護神として鎮祭され、延長5年(927)、撰進「延喜式神名帳」によると、兵主神社は全国に19社あり、丹波国一社として登載された「式内社」である。戦国時代、疱瘡の守護神として主上御疱瘡の時、または皇子誕生の際には内侍局より御代参を立てられた。
近衛関白家は代々崇敬厚く、左大臣近衛信尹は外戚の縁により、慶長10年(1605)、心願の為参拝。神前に「祈るかひあるにつけても藤原にかかる契りや春日部の郷」の歌を献詠、数多の寄進をされております。
その時の行列は、「御長刀一振、御供廻り刀さし八人、立笠一、都合十人、台傘一、挾箱二、鳥篭二、竹馬一荷」であったといわれております。
文化11年(1814)、内大臣近衛基前は自筆の鳥居額「兵主社」を寄進されたが、その時京都より沿道の住民が人夫になって御供をした。
嘉永2年(1849)、近衛忠熈は其子忠房の疱瘡安全祈願を行い、程なく全快され、その報賽として種々の献上物があり、今に神社宝物として保存される。
-「兵庫県神社庁」-
日本に19社ある兵庫(つわものぐら)の鎮守である兵主神社の丹波国の一社。 746年(奈良時代、天平18年)の創建である。祭神は大名持大神、少名持大神、天香山大神、恵比須大神で、生命財産の守護神、特に戦国時代以降は疱瘡の守護神として広く知られる。
境内はいわゆる「鎮守の森」になっており、社殿裏のオガタマノキ(高さ34m)をはじめムクノキやスギなどの巨木のほかコジイ群落がある。環境緑地保全地域および丹波市指定天然記念物に指定されている。 鳥居の額「兵主社」は文化11年、内大臣の近衛基前自身が揮ごうして寄進したものである。このほか近衛家からの献上品を多数所蔵する。
(ウィキペディア)
境内・社叢
一の鳥居・社号標 県道から延びるまっすぐな参道
参道入口の狛犬
参道左手の境内社 厳島神社 手水舎
鳥居 立派な扁額
社頭案内碑 注連柱
拝殿 本殿・幣殿
本殿左手の境内社 右手の境内社
奥宮への参道 数回撮り直したがうす暗くて振れる。 奥宮 厄除神社
奥宮 厄除神社 鏡石とあるが謂れがわからない
磐座 「影向石」 反対側
水神社
境内右手の境内社 酪農神社
本殿左の建物に、平成の台風で倒れた御神木の切り株を納めてある。社殿の後方にあたる森林中に「影向石」とよばれる周囲25m、高さ3.6mの半球状巨石があり、そこにはかつて大欅樹があつて巨根が巨石をとりまいていた。
大正14年4月には兵庫県史蹟名勝天然記念物の指定をうけたが、今は朽腐して面影はない。
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
0件のコメント