式内 奈良豆比古神社
概 要
社 号 式内社 大和国添上郡 奈良豆比古神社
別 名:春日社、八幡社
読 み: 古 ナラノツヒコ、現 ならつひこ
所在地 奈良市奈良坂町奥垣内2489
旧地名 大和国添上郡
御祭神 平城津比古大神(ならつひこのおおかみ)(産土神・中央)
施基親王(志貴皇子ともいう。天智天皇の第七子・弘仁天皇の父。向かって左)
春日王(志貴皇子の第二皇子・向かって右)
例祭日
10月8日 例祭前日 翁舞 10月9日 例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
添上郡(そえがみ):37座(大9座・小28座)
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式 春日造
境内摂社(祭神)
恵比須社(蛭子神社)・祭神 事代主命
毘沙門天王社・祭神 毘沙門天
弁財天社(厳島神社)・祭神 市杵島姫命
大福神社(福の神)・祭神 大国主命
石瓶神社 石の神ともいい、春日王の作りたまう矢並びに幟を石瓶に入れて埋納したところという。
本殿の後方左右には愛宕神社、八幡神社、高良神社、金毘羅神社の小祠が鎮座
文化財
国の重要無形民俗文化財
翁舞 10月8日夜
奈良県指定文化財
能面「ベシミ」 室町初期(応永二十年・1413)の銘をもつ最古のもの
一口メモ
平城山(ならやま)の東の端に位置。旧奈良~京街道の旧道沿いにある。奈良県庁前の国道369号線を京都府木津川市方面へ2.6km北進する。まっすぐ県道754号線 に入り、130m手前を左折すると突き当りだが、旧奈良~京街道の旧道との広い三叉路から入った。駐車場はない。大和盆地と山城国の間になだらかな平城山と呼ばれる丘陵地の府県境(旧国境)、大和国最北の式内社。大和寄りにある。
歴史・由緒等
【由緒】宝亀2年(771)正月20日に光仁天皇の尊考施基親王を奈良山春日離宮に祭つた
同11年11月21日 春日大社の第四殿の姫大神を當社に勧請
保延2年(1136)11月22日に春日若宮を北方の左座に移した
旧奈良~京街道に面した処で「奈良阪の氏神さん」と慕われている。かつては奈良坂春日社と称していた。春日社とも八幡社とも称する。式内社「大和国添上郡 奈良豆比古神社」の後裔社である(天理市の楢神社を奈良豆比古神社の後裔社とする説もあるが、あまり有力視されていない)。
中殿に平城津比古大神(当地の産土神。奈良豆比古神とも)、左殿に春日宮天皇(施基親王、志貴皇子、田原天皇とも)、右殿に春日王(志貴皇子の子)を祀る。
ただし、『式内社考』では中殿が南良春日宮大神(奈良豆比古神)、左殿が春日若宮(天押雲根命)、右殿が矢幡大神(施基親王)としている。
当地は、光仁天皇の父の施基親王(春日宮天皇)が病気療養のために隠居していた奈良山春日離宮の地であり、宝亀2年(771年)、その地に施基親王を祀ったのに始まる。
(ウィキペディア)
延喜式内社、添上郡の同名社。奈良坂春日社と呼ばれていた。
平城津彦神とは産土神で、おそらく奈良山の神であろう。
正中元年(1324)の縁起は、宝亀二年施基皇子を奉祭、同十一年に春日王が春日第四御殿神(姫大神)を祀り、保延二年(1136)に春日若宮神(天押雲命)を勧請したと伝える。近世は当地にあった善城寺の境内にあって鎮守とされ、ハコ石という元明天皇陵石碑が一時当社北傍にあり、佐保姫神影向石として崇められていたという。境内に石瓶神社が鎮座、石の神とも云い、春日王の作る矢、幡を石瓶に入れて埋納した所と云う。石瓶神社の御神体は石であり、神社は坂に鎮座、まさにそこに石の神とすれば、これは当社の根源の神であるシャクジの神の可能性がある。春日大社には佐軍社があり、それに相当する神かも知れない。
-「神奈備へようこそ」さん-
境内・社叢
社頭 手水舎
舞殿 本殿
狛犬
境内社
恵比須社(蛭子神社)・祭神 事代主命 毘沙門天王社・祭神 毘沙門天
大福神社(福の神)・祭神 大国主命 石瓶神社
弁財天社(厳島神社)・祭神 市杵島姫命
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
奈良豆比古神社の楠
奈良豆比古神社の裏にある楠の巨樹。奈良県の天然記念物
参 考
ウィキペディア、延喜式神社の調査さん、ななかまどさん、神社探訪さん
奈良豆比古神社の翁舞 http://www.miryoku.pref.nara.jp/play.php?seq=1109&type=56
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