式内 須谷神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 式内社 但馬国気多郡 湏谷神社
『国司文書 但馬故事記』陶谷神社
読み:スタニ 現 すだに
所在地 兵庫県豊岡市日高町藤井字ヰトキシ308
旧地名 但馬国気多郡狭沼郷陶谷村鎮座
御祭神
句句廼智命(ククノチ)
『国司文書 但馬故事記』は、野見宿祢(石作部の祖)・武碗根命(陶人の祖)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
気多郡(ケタ):21座(大4座・小17座)
式内社

『気多郡神社神名帳』記載三ニ社のひとつ

近代社格制度  旧村社
創建      延享元年(1744)9月本殿再建
本殿様式    春日造柿葺

境内摂社(祭神)

一口メモ

八代地区の入口藤井の、県道1号線と但馬空港へのアクセス道路県道713号線との三叉路に小高い木立林の中にある。農道を数十mほど南下すると、川の西側に田に囲まれた境内が東向きにある。日中気温が最高温度を記録する毎日。ふだんよく通っているのに、今回ははじめて立ち寄った。一番狭い90度のカーブ区間だったが、国道312号のバイパス道路がこの神社の横まで完成し、アクセスは便利になっている。国道312号バイパスはまだここまでで、まっすぐ行くと八代・空港へ行くので要注意。豊岡・城崎方面へは従来の土居辻交差点から右折し、踏切を渡ってのルートが早い。

歴史・由緒等

『国司文書 但馬故事記』に、

人皇16代仁徳天皇二年春三月、
物部連但馬彦は、物部但馬連公武の霊を、気多神社に合わせ祀る。
これに倣い、葦田首は、鍛冶の祖、天目一箇命を、鍛冶の丘に合祀す(式内葦田神社 豊岡市中郷)。
盾縫首は、盾縫いの祖、彦狭知命を、楯縫丘に祀り(→式内楯縫神社)、伊多首は、鏡造の祖、石凝姥命(しこりどめ…)を鋳含丘に祀る(式内井田神社 豊岡市日高町鶴岡)。
石作部連、土師ノ陶人等は、建碗根命と野見宿祢を、陶谷丘に祀る。(石作辺は石棺を作るとある。式内須谷神社 豊岡市日高町藤井)
日置部首は、其の祖、天櫛玉命を、日置ノ丘に祀る。(式内日置神社 豊岡市日高町日置)

同じく、『国司文書 但馬故事記』美含郡鷹野(竹野)郷に、陶谷(現在竹野町須谷)があり、陶谷神社がある。祭神 野見宿祢。贄土師部・小碗(おまり)・埴生・陶谷・阿故谷・土師村・など土師器・陶器にゆかりのありそうな地名が並ぶ。

『国司文書 但馬故事記』人皇21代雄略天皇の時代に、再び陶谷が登場する。

人皇21代雄略天皇3年秋7月、
黒田大連をもって、多遅麻国造となし、府を国府村に遷す。
黒田大連は、天児屋根命の末裔にして、大職冠・藤原鎌足公5世の祖なり。
(中略)
17年春3月朔(サク)、詔して、土師等をしてまさに朝夕の御膳に盛る清器を進ぜしめ給う。
これにおいて、土師連の祖・吾笥は、すなわち摂津国来佐々村、山背国内村、俯見村、伊勢国藤形村および丹波・但馬・因幡の私部(きさいべ)を進む。
但馬国出石郡埴野村・養父郡土田村・美含郡阿故谷村を贄(にえ)土師部と云うは是なり。(阿故谷村のうち陶谷村・埴生村・小碗村はこれに属す)

18年春四月、気多郡陶谷村の人、陶谷甕主、出雲国阿故谷の人、阿故氏人、小碗氏人、等、美含郡に入り、阿故谷・陶谷・埴生・小碗にて、陶器・清(須恵)器の類を作り、部落を為す。

陶谷甕主は、その祖野見宿禰を陶谷丘に祀る。(→陶谷神社 祭神 野見宿祢 今の八幡神社(豊岡市竹野町鬼神谷))
阿故氏人は、その祖土師連の祖、阿居氏を阿故谷に祀る。(→阿故谷神社・森神社 祭神 阿居王、一に土師連祖吾笥)
小碗氏人は、その祖建碗根命を小碗丘に祀る。(→小碗神社 祭神 建碗根命 今の村社 八坂神社(豊岡市竹野町小丸))
土師臣手孤(手偏)は、その祖土師部連命を埴生丘に祀る。(→埴生神社
埴田陶人は、その祖、大襲盤(おおそば)命を陶居丘に祀り、埴生田神社と申し祀る。

(式内 阿故谷神社・森神社以外は式外社)
村社 八幡神社(豊岡市竹野町鬼神谷)を参照

とあるから、気多郡陶谷村は、式内須谷神社のある日高町奈佐路・藤井付近で間違いないが、元の鎮座地陶谷丘は今の奈佐路上部であろう。

境内・社叢


鳥居・社号標

  
拝殿                       拝殿・本殿

本殿を収めた覆屋まで渡り廊下がサッシのガラス戸で結ばれている。この規模の旧村社でよくあるスタイル。

  
拝殿に飾られた扁額            手水鉢?拝殿横に四角く切り抜いた石が無造作にあった。苔むしていい感じだけど、境内に手水舎がないので浄める手水鉢か。


境内社 左)荒神社 右)八幡神社

地名・地誌

藤井・奈佐路

『国司文書 但馬故事記』
狭沼(サノ)郷
狭沼・鷹貫(タカヌキ)・葛井(フジイ)・陶谷(スダニ)・国棺(クノギ)・谷・大炊山代村(オオイヤマシロ)・八代・河合・椒・三原・伊爪(猪爪)

『太田文』
狭沼郷
今は佐野と書く。弘安の比、八代谷を分けて別に一庄とする。
佐野郷…佐野・上石(アゲシ)・竹貫
八代谷…藤井・奈佐路・谷・八代中村・猪爪・奥八代・河江・椒・三原

葛井が藤井とすると、陶谷は須谷であっても、古社地は奈佐路だったのではあかろうか。神社の所在地は藤井というより奈佐路集落の入り口であり、奈佐路川を少し遡った対岸に「久野木」という神社があるから、国棺(クノギ)と陶谷(スダニ)が現在の奈佐路だろう。

但馬国を「多遅麻」と表記したのと同じように、葛井が藤井に、狭沼が佐野、変化したことに意味はない。平安のカタカナ、ひらかなが使われる以前に漢字を使って日本語の訓読みとして漢字を代用した「万葉仮名」の漢字自体に意味はない。

1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行により気多郡八代村が発足。
1955年(昭和30年)3月25日 – 日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合併し、新しい日高町が発足。
2005年(平成17年)4月1日 – 豊岡市、出石町、但東町、城崎町、竹野町と合併して新たな豊岡市が発足。

地 図

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