村社 兵主神社(新温泉町指杭)
概 要
社号 指杭兵主神社
読み:さしくいひょうずじんじゃ
所在地 兵庫県美方郡新温泉町指杭338
旧地名 但馬国二方郡
御祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと)
例祭日
社格等
式外社
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式
境内摂社(祭神)
一口メモ
指杭集落の奥に鎮座している。地元の人に訪ねて、細い道を徒歩でたずねた。もう日没近くになり、ゆっくり参拝できず。
歴史・由緒等
由 緒
創立年月不詳中世以来、天王社、三宝荒神と称せしも明治初年(1868~)兵主神社と改称し、明治6年(1873)10月村社に列せらる
-「兵庫県神社庁」-
『式内社調査報告』によると、
式内二方神社は戦後、大雪で社殿が倒壊し、現在、指杭の氏神・兵主神社に仮に祀られているという。
境内・社叢
鳥居
本殿覆屋
地名・地誌
二方国
「校補但馬考」は、二方郡は上古は一つの国で出雲国造を祖とする二方国造が治めていた。いつ頃に但馬国に合わせられたのは定かではない。としている。
『国司文書 但馬故事記 八巻・二方郡故事記』に、詳しく記されている。
素戔嗚尊(スサノオ)は、大年命・蒼稲魂尊(ウカノミタマ)に勅して、布多県(ふたあがた)国を開かしめ給う。
大年命は、蒼稲魂尊とともに布多県国に至り、御子を督励して、田畑を開き、その地を称して、大田庭と曰う。いま大庭と云う。(浜坂町大庭)
布多県(ふたあがた)が二方(ふたかた)になった。
『国司文書 但馬故事記 一の一 気多郡故事記・下』に、
人皇42代文武天皇庚子四年(701)春三月 二方国を廃し、但馬国に合し、八郡と為す。
二方郷
清富・赤崎・指杭(さしくい)・和田・田井・三尾
隣の鳥取県岩美郡にも、田公(たぎみ)氏、塩谷(えんや)氏の城があり、似た地名や神社、湯村、七釜、岩井など温泉があるのも共通している。
因みに新温泉町は、平成の大合併で美方郡の温泉町と浜坂町が合併し誕生したが、美方郡はかつての七美郡(旧村岡町・美方町)と二方郡が一つになって美方郡となったもので、新温泉町はかつての二方郡域である。
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