村社 兵主神社(新温泉町田井)
概 要
社 号 兵主神社
読 み:ひょうず
二方兵主神社 『国司文書・但馬故事記』
所在地 兵庫県美方郡新温泉町田井448
旧地名 但馬国二方郡二方郷
御祭神 素戔鳴尊(スサノオノミコト)
例祭日 9月8日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳 (天平19年(747) 『国司文書・但馬故事記』)
本殿様式
境内摂末社(祭神)
一口メモ
余部御碕から海沿いに御火浦・三保を過ぎて南下すると西手に田井があります。
獣よけの柵がしてあるので、時間上社殿までは行きませんでした。西にある指杭兵主神社と隣接する集落です。
歴史・由緒等
由 緒
創立年月不詳
天正(1573~1591)の末頃まで初大荒神と称し後に三宝荒神と崇めしも明治初年兵主神社と改称す。
之より先、宝永5年(1708)社殿を再建し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。「兵庫県神社庁」
『国司文書・但馬故事記』に他の兵主神社も、
第八巻 二方郡故事記には、
人皇13代成務天皇五年秋八月、出雲国造の同祖
遷狛一奴命 の孫美尼布命 を以て、二方国造と定む。美尼布命は田井宮に在りて国を治む。美尼布命は、大清富命の娘、美保津姫命を娶り、二方開咋 彦命を生む。
人皇15代神功皇后7年初2月 美尼布命の子、二方開咋彦命を以て、二方国造と為す。二方開咋彦命は、多遅摩国造天清彦の娘、須賀嘉摩比売命を娶り、宇多中大中彦命を生む。
人皇37代孝徳天皇2年5月、二方国造真弓射早彦命に勅して、当国の甲冑および弓矢を閑広の処に収め、兵庫を作り、軍団を設けしめ給う。
(中略)
人皇42代文武天皇の庚子4年春3月、二方国を廃し、但馬国に合わせ、二方郡と為す。(中略)
人皇45代聖武天皇の天平19年(747)冬9月、二方軍団を廃し、
健児所 と為す。健児所を二方郷に遷し、健児五人を置き、兵庫および鈴蔵を守らしめ、二方首 大井麿を以って健児判官と為す。
二方首大井麿は兵主神社を兵庫丘に祀る。兵主神社これなり。人皇52代嵯峨天皇弘仁元年夏5月 大いに軍事を奨め、健児を増す。これに於いてか、また兵主神を祀り、これを指杭兵主神社と云う。
※同神社神名帳 二方兵主神社 祭神 須佐能男命、開咋神社 祭神 二方
とあり、開咋神社は現存せず、田井には兵主神社なので、当社に開咋神社を合祀したのだろうか?
境内・社叢
鳥居
立派な樹木 本殿覆屋
本殿
本殿右手境内社
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「兵庫県神社庁」
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