村社 日出(ひので)神社(南尾)
概 要
社号 日出神社
延喜式神名帳 式内社 但馬国出石郡 日出神社(論社)
読み:古 ヒテ、現 ひので
江戸時代は「栃森明神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市但東町南尾(みのお)189
旧地名 但馬国出石郡高橋郷
御祭神 多遲麻日多訶神(タヂマヒダカ) 由良止美神(ユラトミ)
例祭日 10月10日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
出石郡(イツシ・いずし):23座(大9座・小14座)
式内 日出神社論社は以下の2社
日出神社[ひで] 兵庫県豊岡市但東町畑山329
日出神社[ひので] 兵庫県豊岡市但東町南尾189
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 不詳
境内摂社(祭神)
稲荷神社・三柱神社
一口メモ
大抵神社は旧道にあるので新道ができて、地図にも掲載がない場合、ここもどこから入るのかわかりにくかったが、国道に社号標が建っている。
歴史・由緒等
本殿に書いてあった説明によれば、「氏を異にする地域の住民が同一神村落(日殿村)(市場村)(南尾村)(出会村)の共同の元で日出神社を氏神として祭祀を祀り、栃森社といわれ、中世から江戸末期まで数百年におよんで伝説として神功皇后が三韓征伐の時、勅使を派遣して供物を献じ、中世の頃市場の高山城出合の山城の城主が社を納め、祭料を毎年献じたともいわれる。江戸時代に入り、寛永~正保の間(1624~1647)出石城主小出吉秀が出石川改修に して、社殿を新築し、幕末安政六年(1859)にも本殿が造立されている。
明治二年、社名を栃森社から日出神社と複称し、村社昇格明治43年拝殿を建立。本殿の造りは丹波元伊勢と同じ神明造りで、町内でも珍しく南方アジア系の建築様式である。
祭神は多日多可由良止三大神。神社史創立不詳とあり、時代により土地所属が変わりて、神社が移り動いて天災水害に逢い、現在地に鎮座されたものです。」
詳細はわからないが、上記の日殿村にある式内社 日出神社を遷座したものだろう。多遅摩比多訶神と多遲麻日多訶神は同訓異字で同神。
境内・社叢
社号標 石碑
案内板
拝殿 本殿覆屋
本殿屋根の千木(内削ぎ) 境内社
地名・地誌
南尾
但馬考には埴野郷が二区に分かれ、曰く土野(ハンノ)荘領、上野、日野辺、桐野、寺坂、水石(ミズシ)、畑ノ六邑と、出合郷、市場、南尾(ミノヲ)、出合、日殿、矢根、奥矢根の七邑。…、兵部省式には因謂、日出神社、南尾村、日出斐泥、天日槍の末裔、多遅摩斐泥也。但馬国春野駅馬五匹、春、埴は音が近し。この地也。資母郷を経由して丹後ノ句金駅に達する。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
但馬の神社と歴史三部作