河辺八幡神社 式内三宅神社論社
概 要
社号 八幡神社
式内社 伝:丹後国加佐郡 三宅神社
所在地 京都府舞鶴市河辺中村下354-2
旧地名 丹後国加佐郡志楽郷 加佐郡河辺中村
御祭神 誉田別尊(=応神天皇) 猿田彦尊
例祭日 例祭 9月 河辺八幡神社大祭り(3年に1度 )
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
加佐郡(カサ):11座(大1座・小10座)
式内社
丹後風土記残欠に河辺坐三宅社、延喜式神名帳に三宅神社(論社)、三宅八幡宮、岩津森明神。
中世 八幡神社
近代社格制度 無格社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神)
疫神社(祭神 素盞鳴尊) 大川神社(祭神不詳) 蛭子神社(祭神蛭子命)
愛宕神社(祭神加具槌命 相殿 大物主命 火産霊命 稲蒼主命ウガノミタマ) 元栃尾
大谷神社(祭神素盞鳴尊 火産霊尊 稲蒼玉命 他不詳) 元西屋
天照皇大神社(祭神加具槌命)
愛宕神社(加具槌命) 元室牛
荒神社(祭神不詳) 元河辺原
若宮神社(祭神大山祗命其他不詳) 元河辺由里
相殿(稲蒼玉 大国主命)
文化財
貞治三年(1364)北朝年号を刻む石灯篭 市文化財
獅子舞祭「田楽」 府登録文化財、市無形文化財
一口メモ
国道27号を東舞鶴に入ると、湾にユニバーサル造船、海上自衛隊舞鶴地方統監部、北吸の赤レンガ群、舞鶴市役所前をやや曲がると式内三宅神社がある。東舞鶴の北東部で距離があるが、式内三宅神社論社であるので訪ねてみることにした。東舞鶴市街地の商店街を過ぎて、大門松島(交差点)から府道21号を北へ。両側に自衛隊舞鶴教育隊、病院、宿舎など施設が壮観である。しばらく湾沿いに行くと、日本に板ガラス舞鶴事業所の広大な敷地を通り、トンネルを抜けると舞鶴引揚記念館がある。以前訪ねたことがあるが引揚桟橋に立ち寄る時間がなかったので寄り道。その北東をさらに曲がらずにまっすぐ府道561号を700m北上すると河辺谷。半島で川沿いの開けた道渕に神社がある。
前出の舞鶴市小倉にある式内阿良須神社も志楽だが、河辺谷も同じ志楽郷で最も早くから開かれていたところ。屯倉(三宅)を置くなら、北吸は耕作地が少なく余部郷と思われる。50戸に満たない村を余部と定めたが、稲作がさかんだったとは思えない場所に三宅を設け、しかも式内社であるとは思えない。北吸は明治になり海軍によって開拓された舞鶴でも新しい地域だろう。舞鶴の最古の村と最新の村という対照的な2つの場所に三宅神社論社がある。したがって式内社三宅神社があったのはこちらの気がするのだが。また河辺から北吸に遷座したとすれば元宮と今宮の関係にあり、どちらが正しいとはいえない。
歴史・由緒等
創建 不詳なれど、再建年代は棟札に、天養元年(1144)、至徳六年、正和二年、正慶六年、寛永四年等、
貞治3年(北朝元号・1364)8月25日と銘を刻んだ石燈籠がある。
由緒 古老伝えて曰ふ「当社は往昔三宅八幡宮と称したが中世社 号を転じ八幡神社と称する様になつたのである」と・現今保存してある古幟の内には三宅社と記したものがある。丹波風土記で「河辺座三宅社」とあるは当社のことであって亦延喜神名帳に出た三宅神社であることも疑いない。創立年代は詳ではないとはいえ再建年代は至徳六年正和二年正慶六年寛永四年等であること今現に存する棟札に依って明らかである。
『加佐郡誌』
河辺中の八幡神社を「神名帳」所載の三宅神社とするなら、「延喜式」編集以後に八幡神を勧請したことになる。同神社をもって三宅神社とする最大の根拠の一つは「丹後風土記」残欠に「河辺坐三宅社」とする一行があるからであるが、この残欠に対する史料検討が完全でない現在、直ちに河辺中を所祭地とすることには無理がある。また八幡神社がなぜ三宅神社でなければならないのか、この説明も十分ではない。同社は江戸期「正八幡」(旧語集)と称しており、この名称は大浦地区に多い。境内に貞治三年(1364)北朝年号を刻む石灯篭があって、当市の文化財に指定されている。
八幡神は早くから仏教と習合したが、民間に流布するのは本地垂迹説の完成する中世以降とされるから、同社の起源については、「神名帳」所載の三宅神社が、八幡神の流布によって祭神が替ったか、あるいは創建当初より八幡神を祀ったか、検討の余地が多い。
『舞鶴市史』
境内・社叢
石灯籠 鳥居
由来案内板
手水舎 割拝殿
拝殿 本殿
貞治三年(1364)北朝年号を刻む石灯篭 舞鶴市指定文化財
摂社
天照皇大神社(祭神加具槌命) 大谷神社(祭神素盞鳴尊 火産霊尊 稲蒼玉命 他不詳)
境内社 たくさんの境内社がある
大川神社(祭神不詳) 舞鶴市大字大川の大川神社の分祀なら主祭神は保食神(うけもちのかみ)
地名・地誌
河辺中(かわべなか・かわなべなか)
丹後国加佐郡志楽郷(和名抄)
中世 志楽庄河辺(河部とも)
地 図
交通アクセス・周辺情報
平引揚桟橋
河辺川左岸丘陵には16基の円墳からなる干田古墳群(後期)がある。
干田(ひだ)古墳群
平引揚桟橋・引揚記念館
参 考
「神詣」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん
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