伊勢市 式内大社 二十二社 三重(伊勢・志摩国)

皇大神宮(伊勢神宮内宮)

概 要

社号 皇大神宮(内宮)
一般には内宮(ないくう)と呼ばれる。
正式名称:神宮 総称:伊勢神宮
延喜式神名帳 式内社 伊勢国度會郡 大神宮三座 相殿坐神二座 (並大 預月次新嘗等祭)
読み:こうたいじんぐう

※正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)。親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。

所在地 三重県伊勢市宇治館町1
旧地名 伊勢国度會郡
御祭神
主祭神
天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ、天照大御神)
三種の神器の1つ・八咫鏡を神体とする。
相殿神
天手力男神 (あめのたぢからおのかみ)
万幡豊秋津姫命 (よろづはたとよあきつひめのみこと)
例祭日
祭事参照
『神社公式サイト』http://www.isejingu.or.jp/ーを主に引用・参考。

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』 式内社(大 月次新甞)
東海道 式内社731座 大52(うち預月次新嘗19)・小679
伊勢国 式内社253座 大18座・小235座
度會郡(ワタラヒ) 58座 大14座 小44座

中世社格制度 二十二社(上七社)

近代社格制度 (超越しており社格の対象外)

創建     垂仁天皇26年(B.C.28)
本殿様式   唯一神明造

境内摂末社(祭神)

内宮別宮

別宮(わけみや・べつぐう)は「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる。計10宮。

内宮境内社

式内社(大。月次新甞。) 荒祭宮 (あらまつりのみや) 天照坐皇大御神荒御魂
皇大神宮別宮 風日祈宮 (かざひのみのみや)
皇大神所管社 瀧祭神(たきまつりのかみ) 瀧祭大神
皇大神所管社 屋乃波比伎神(やのはひきのかみ) 屋乃波比伎神
皇大神所管社 宮比神(みやびのかみ) 宮比神
皇大神所管社 興玉神(おきたまのかみ) 興玉神
皇大神所管社 御稲御倉(みしねのみくら) 御稲御倉神
皇大神所管社 由貴御倉(ゆきのみくら) 由貴御倉神
皇大神所管社 御酒殿(みさかどの) 御酒殿神
皇大神所管社 四至神(みやのめぐりのかみ) 四至神

境外社については『神社公式サイト』

内宮摂社

摂社(せっしゃ)は、『延喜式神名帳』に記載されている正宮、別宮を除く神社。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある。計27社。
宇治山田神社・狭田国生神社など

内宮末社

末社(まっしゃ)は、『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)。計16社。

内宮所管社

所管社(しょかんしゃ)は、正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。計30社。

一口メモ

伊勢神宮は平成25年「第62回式年遷宮」を迎える。一生にもう二度とない機会だと思い、「神社人」主催伊勢神宮参拝ツアーに参加した。月曜日早朝にも関わらず、全国から多くの参拝者で賑わっていた。
ツアーの最大の目的である正宮内でのご祈祷と内宮神楽殿(かぐらでん)内で私祈祷の神楽を受けたのが貴重な経験だった。雅楽と巫女の舞は厳かなもので、写真撮影は禁止である。

神楽(かぐら)

お祓いが行われ、雅楽が奏でられる中、御神札と神饌が供えられます。
次に祝詞(願い事)が御神前に奏上され、続いて典雅な舞(神楽・舞楽)が捧げられます。
そして、再び雅楽が奏でられる中、お供えが下げられて、終了いたします。
この御祈祷に要する時間は、種別により舞の数が異なりますので所要時間は 25分~40分くらいとなります。御神札とおさがりの神饌をお受けいただきます。
-文・画像は撮影禁止なので『神社公式サイト』より-

歴史・由緒等

概要(内宮・外宮 共通)

伊勢神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず) 川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、 内宮=ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、 外宮=げくう)及び別宮など125社神社の総称である。
正式名称は地名の付かない「神宮」である。『日本書紀』では、伊勢神宮と石上神宮(奈良県天理市)のみが「神宮」と記載されていた。

伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
広義には、別宮(わけみや)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、当宮は皇室・朝廷の権威との結びつきが強い。

神宮

その後、平安時代に成立した『延喜式神名帳』では、石上神宮に代わり鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と香取神宮(千葉県香取市)が「神宮」と記載された。
江戸時代まで「神宮」を社号とする神社は、この3社のみであった。その後、筥崎宮(福岡県福岡市)、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)が加わった。
明治以降、天皇、皇室の祖先神や大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社の一部が、社号を「神社」から「神宮」に改めた。第二次世界大戦終戦までは、「神宮」の社号を名乗るためには勅許が必要であった。
戦後、神社の国家管理は廃止されたが、今もなお「神宮」を名乗る神社は特別の由緒を持つものに限られている。戦後、「神宮」に改称したのは、いずれも神社本庁の特別な承認を受けて改称した北海道神宮(旧札幌神社・北海道)、伊弉諾神宮(兵庫県)、英彦山神宮(福岡県)の3社と、神社本庁から独立して改称した新日吉神宮のみである。

神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮からというのが古来からのならわしです。
外宮の建物やお祭りはほとんど内宮と同じですが、屋根の千木や鰹木など細部にちがいがあります。 内宮と違ったところを見つけながら外宮を参拝するもいいかもしれません。

内宮(ないくう)概要

皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。

伊勢信仰の中心となる神社で、日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。
親王の結婚に際して、新婚旅行として「神宮に謁するの儀」が執り行われるのが通例となっている。複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事は外宮、内宮の順で行う。これを外宮先祭と呼び、参拝も外宮、内宮の順で行なうのが正しいといわれる。ただし式年遷宮の遷御は皇大神宮、豊受大神宮の順であり、奉幣は豊受大神宮、皇大神宮の順である。
別宮として、境内に荒祭宮と風日祈宮、境外に月讀宮、瀧原宮と伊雑宮のほか、境内・境外に27社・33座の摂社、16社・16座の末社、30社・30座の所管社を有する。
建物は豊受大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。

御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている。『古事記』では豊宇気毘売神と表記される。『日本書紀』には登場しない。別称、豊受気媛神、登由宇気神、大物忌神、豊岡姫、等由気太神、止与宇可乃売神、とよひるめ、等々。
神名の「うけ」とは食物のことで、食物・穀物を司る神である。このことより、衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。

境内

宇治橋の内側には正宮(しょうぐう)のほか別宮の荒祭宮と風日祈宮、所管社の滝祭神(たきまつりのかみ)・酒の神様を祀る御酒殿(みさかどの)・御稲御倉(みしねのみくら)・神嘗祭の時に神々の食事の御料を納めた由貴御倉(ゆきのみくら)・宮域の守護神を祀る四至神(みやのめぐりのかみ)がある。

正宮には所管社の興玉神(おきたまのかみ)・宮比神(みやびのかみ)・屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)が祭られる。宇治橋の東に所管社の大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)と子安神社(こやすじんじゃ)がある。

境内には神饌を調理する忌火屋殿(いみびやでん)、正宮に供える神饌を調理する儀式を行う御贄調舎(みにえちょうしゃ)、撤下された神宝を保管する外幣殿(げへいでん)、摂末社の遥祀などを行なう五丈殿(ごじょうでん)がある。ほかに祭主・神職が潔斎をする斎館(さいかん)と天皇が宿泊する行在所(あんざいしょ)、皇族から奉納された神馬を飼育する内御厩(うちのみうまや)・外御厩(そとのみうまや)がある。

神楽殿
神楽殿(かぐらでん)では私祈祷の神楽が行なわれ、希望者は奉納ののちに饗膳所(きょうぜんしょ)で直会を行なえる。神楽殿の神札授与所(おふだじゅよしょ)では神楽の受付のほかにお札・お守り・神宮暦・御朱印の授与などを行なっている。参拝者の休憩所の参集殿(さんしゅうでん)では湯茶が用意されているほか参宮記念品の授与も行なっている。
宇治橋の東の丘に、神宮の祭祀をはじめとするすべての事務を取り扱う神宮司庁(じんぐうしちょう)庁舎がある。

境内では、神の使いとしてニワトリが放し飼いにされている。三重県など8県の愛鶏家が結成する神宮奉納鶏保存会が内宮に神鶏を奉納している。2011年(平成23年)6月5日の奉納では小国鶏のつがい2組(4羽)とチャボ・オナガドリなど25羽が奉納され、境内に放鳥された。

歴史

 わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』によれば、皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して、

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。

と、お言葉を与えられました。また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。

国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる皇大御神の御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)で、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を加えて三種の神器(じんぎ)と呼ばれます。

この御鏡を代々宮中で天皇ご自身がお祭りされていましたが、崇神(すじん)天皇の御代に皇居の外、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立ててお祭りすることになりました。神籬とは榊のような常緑樹で囲われた神聖なお祭りの場を意味します。そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が皇大御神をお祭りされていましたが、垂仁(すいにん)天皇の御代に至って、倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祭り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。

倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られましたのち、伊勢の国の度会(わたらい)の地、宇治の五十鈴川の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠(やしろ)」をたててお祭り申し上げることになりました。祠は社とも書き、家(や)や屋(や)の代(しろ)という意味で、大きなお祭りに際してそのつど新たにたてられる建物のことです。

神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮(神の宮殿)、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になりましたのは、天武(てんむ)天皇から持統(じとう)天皇の御代にかけてのことです。20年に1度の大祭、神宮式年遷宮もこの時代に始まりました。

ー以上、『神社公式サイト』よりー

明治時代までは、僧侶の姿で正宮に接近することは許されず、川の向こうに設けられた僧尼拝所から拝むこととされ、西行も僧尼拝所で神宮を拝み、感動の涙を流したという。荒木田氏が祠官を世襲していたが、明治以降は世襲制が廃止された。第二次世界大戦後は元皇族の女性が代々の祭主をつとめている。

古代は、皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)。天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。
中世、朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された。神仏習合の教説において神道側の最高神とされる。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。
戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講(伊勢講)を組織させる御師(おし・おんし)が台頭した。
近世江戸時代には、お蔭参り(お伊勢参り)が流行した。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した。

近代、明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝された。この長期の空白の理由については諸説がとなえられているが、決定的なものはない。大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗とされた。内宮前に「神宮司庁」がある。
佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣と農林水産大臣が、(正月三が日の混雑を防ぐため)主に1月4日の仕事始めに参拝するのが慣例である。

正宮は、写真撮影禁止で、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるが、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ。正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地がある。
(ウィキペディア)

式年遷宮

遷宮(せんぐう)とは、神社の正殿を造営・修理する際や、 正殿を新たに建てた場合に、御神体を遷すことです。式年とは定められた年という意味で、 伊勢神宮では20年に一度行われます。

第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のことです。 それから1300年にわたって続けられ、昭和48年に第60回、平成5年には第61回が行われ、 平成25年に第62回を予定しています。

神宮にとって永遠性を実現する大いなる営みでもあるのです。
『神社公式サイト』

内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える。

-『神社公式サイト』より-

境内・社叢

  
宇治橋鳥居(神明鳥居)           宇治橋


社頭案内板

  
五十鈴川

  
宇治橋鳥居から神苑へ           神苑

  
第一鳥居                 手水舎

  
五十鈴川                 御手洗場 参拝する前に身を清める場所


第二鳥居

  
神楽殿
ご祈祷の神楽を行う御殿。右隣の御饌殿でもご祈祷をしている
左隣でも御札やお守りを受けられる

  
正宮

  
遷宮で新しく建て替えられる社殿

  
別宮 荒祭宮


御朱印

地名・地誌

地 図

三重県伊勢市宇治館町1
交通アクセス・周辺情報

 交通アクセス・周辺情報

鉄道
近鉄鳥羽線 五十鈴川駅
徒歩:約30分、バス:約10分 – 宇治山田駅・伊勢市駅・外宮からの路線
近鉄山田線・鳥羽線 宇治山田駅
バス:約15分
JR東海参宮線・近鉄山田線 伊勢市駅
バス:約15分


伊勢自動車道 伊勢西ICから、三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を南へ、のち「浦田」交差点から伊勢街道を南へ
駐車場:宇治橋周辺の参拝者用駐車場を利用

混雑時には自家用車は浦田町交差点から内宮方面へ進入禁止の規制が行われるため、宇治浦田町の伊勢市営駐車場や、近隣の三重県営総合競技場(五十鈴公園)に併設されている駐車場などを利用(有料)
初詣の期間には大晦日深夜より正月三が日を含む数日間は、三重県営サンアリーナ駐車場とバス専用レーンを利用したパークアンドライドが行われている(2003年初詣期間以降)。またゴールデンウイーク期間中も同様にパークアンドライドが実施されている(2010年現在)。

参 考

『神社公式サイト』、ウィキペディア他

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