県社 長浜神社
概 要
社 号 長浜神社
別名:妙見神社 江戸時代は「妙見神社」と称していた
読み:ながはま
延喜式神名帳 式内社 出雲国出雲郡 出雲神社 論社
読み:古 イツモ
式内 出雲神社(論社)
諏訪神社「武御名方神、八束水臣津野神」島根県出雲市別所町72
長浜神社「八束水臣津野命」 島根県出雲市西園町4258
出雲大社摂社素鵞社「須佐之男尊」 島根県出雲市大社町杵築東195
所在地 島根県出雲市西園町上長浜4258
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神
八束水臣津野命(やつかみずおみつの)
例祭日 10月13日 例祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
出雲郡(イツモ) 58座(大1座・小57座)
『出雲国風土記』「出雲社」
近代社格制度 旧県社
出雲国神仏霊場十九番(20社寺)
創建 天平5年(733)『出雲国風土記』に「出雲社」と記載されているのでそれ以前にあった
※「出雲社」「式内出雲神社は」論社が3社ある。
本殿様式 大社造変態
境内摂末社(祭神)
坂下荒神社
稲荷神社・天神社・春日神社・秋葉神社
要石・夫婦石・岐神社・荒神社・三輪鳥居
弓掛けの松
一口メモ
午後まではお天気だったのが急に天候が悪化してきたなか、撮影が困難になるが、長浜神社は無理してでも参拝したかった。県道279号線の神戸川の橋を渡ると県道はやや右にカーブするがまっすぐそのままが参道になっている。参道の右に鳥居近くの駐車場まで車道がある。雨降りなのでありがたい。ただ、式内 出雲郡 出雲神社の論社として、他2社は出雲郡だが長浜神社は神戸川以南にあり神門郡だと思う。諏訪神社や素鵞社に比べると長浜神社は県社だけあって大きな神社であるが。
歴史・由緒等
国引き神話の主人公である八束水臣津野命(やつかみずおみつの)を主祭神とし、布帝耳命(ふてみみ)・淤美豆奴命(おみずぬ)を配神として祀る。
布帝耳命・淤美豆奴命は『古事記』のスサノオの系譜に名前のみ登場する神である。その系譜では淤美豆奴命と布帝耳命は夫婦となっているが、この神社では淤美豆奴命は八束水臣津野命の子ということになっている。
中世から近世にかけては「妙見社」「薗村妙見神社」などと呼ばれた。明治5年(1872年)に現在の社名となった。
延宝3年(1675年)に社殿が焼失し、松江藩主松平綱近の命によって造営された。
-『ウィキペディア』より-
境内・社叢
手水舎 鳥居右手境内社
随神門 境内手水舎
拝殿
拝殿扁額 本殿
本殿左境内社
本殿右手 なぜか奈良の大神神社独自の三ツ鳥居 境内社が3社あるためだろう。
地名・地誌
長浜
「稲佐の浜」・「薗の長浜(そののながはま)」
出雲市大社町の「稲佐の浜」から出雲市長浜にかけ弓状に広がっている約3キロの砂丘海岸。
「国引き神話」の舞台として知られ、白砂青松の美しい景観は、神話時代をしのばせてくれます。
「風土記」によれば、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと・大国主と同一神とされる)が国を作る際、「出雲の国は狭い若国(未完成の国)であるので、他の国の余った土地を引っ張ってきて広く継ぎ足そうとした」と記されており、西は佐比売山(島根県・三瓶山)、東は火神岳(鳥取県・大山)に綱をかけ、東端の「三穂(みほ)の埼」は北陸から、西端の「支豆支の御埼(きづきのみさき)」は朝鮮半島の新羅から、その間の「闇見(くらみ)の国」と「狭田(さだ)の国」はそれぞれ「北門(きたど)の良波(よなみ)国」、「北門の佐伎(さき)国」から「国来国来(くにこ くにこ)」と国を引き、できた土地が現在の島根半島であると言われています。またその際に国を引いた綱は、その後弓浜半島になったという神話も残されています。
「出雲観光協会」
地 図
交通アクセス
JR出雲市駅より15分
JR神西駅、西出雲駅より10分
キララ多伎より車で10分
駐車場 入口付近(大型バス用)、中腹、山上の三ヶ所に駐車場あり。
普通車70台 大型バスは入口付近のみ3台
周辺情報
稲佐(いなさ)の浜・薗の長浜(そののながはま)
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