4.近代社格制度

近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)とは、明治維新以降、『延喜式』に倣って、新たに神社を等級化する制度である。第二次世界大戦後に廃止されたが、今日でも「旧社格」などの名称で神社の格を表す目安とされる。

明治時代に入ると仏教との習合により、より複雑化した神社も神仏分離令の名のもと、再編成が実施された。そして、その社格制度も多いに見直されることになり、新たな社格が用いられるようになった。

分類

大きく分けて、三種類の社格に分類されます。

官社

・官社:官幣社・国幣社の両社をまとめた官国幣社(中央政府管理社)

官社には、それぞれ、大中小という三段階のランクが存在し、この他、二種類の格式を用いることによって、中央集権的に、大きく、有名な神社から、地域主体の小さな神社まで、実に多くの神社を包含することになった。

諸社

・諸社(民社)は府県社・郷社・村社をまとめた地域社

府県社は府、県、台湾の州、台湾、北海道、樺太の庁から奉幣を受け、郷社は府県または市から奉幣を受けた。
ほか、「道供進社」は朝鮮の「道」から、「府供進社」は朝鮮の「府」から奉幣を受け、日本国内の府県社に相当した。

当初、「郷社」は社格のほか、特定の行政機能をも示した。すなわち、江戸時代の宗門改の檀那寺に代わり設定されたもので、氏子調の中心となる神社であった。出生や住所の移動の際には守札の発行などが義務づけられた。このように、「郷社」は通常の「社格」とは意味が異なるため、官国幣社・府県社であると同時に郷社であるものもあった。

村社も郷社と同様の意味を持つが、郷社に付属するものとして設定された。だが、その後、郷社・村社については、氏子調の制度の廃止により行政機能を失い、通常の「社格」と同様の意味となった。

無格社

・無格社:上記2社に属さない非常に小さく限定された神社

法的に認められた神社の中で村社に至らない神社であり、正式な社格ではなく、社格を有する神社と区別するための呼称だったが、社格の一種ともされるようになった。無格社の神社であってもほとんどは氏子を有し、村社以上の神社とは、神饌幣帛料供進がなかった点や境内地が地租もしくは地方税免除の対象とされなかった点などが異なる以外に、目立った相違はない。規模の小さな無格社の多くは、明治末期の神社合祀で廃社とされた。

社格の順

官国幣社(官社)については、官幣社は国幣社よりも格が上とされ、それぞれ大・中・小の順に格が下がり、官幣中社と国幣大社はどちらが上かなどの明確な規定はないが、『神道辞典』などによると以下の通り。別格官幣社は国家皇室の忠臣を祭神とするため、官幣小社と同等の待遇だったが、国幣小社よりも上位であったわけではない。

近代社格制度の社格の順は以下の通り。

神宮(伊勢神宮)(最尊貴の神社として社格制度の対象外とされた)

・官国幣社(官社)

・諸社(民社)
・府社・県社・藩社 – 1148社
・郷社 – 3633社
・村社 – 44934社

・無格社
(神社明細帳に記載されている(存在が公認されている)が、社格を有しない神社) – 59997社

上記の近代社格制度とは別に、以下の制度が定められた。

・勅祭社
・東京十社(準勅祭社)
・内務大臣指定護国神社-(護国神社のうち、政府の保護を受けたもの)

官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社

諸社(民社)は、府社=県社=藩社>郷社>村社の順である。

これらの社格の区別は実質的な待遇の差異を伴わず、特に官国幣社においては、官幣社と国幣社の区別の意義などがはっきりしなかった。より整備された社格制度を作ることも考えられたが、成立しなかった。だが、実質的な待遇を見れば、官国幣社、神饌幣帛料供進指定神社(府県社と郷村社の一部)、それ以外の神社の3段階の社格になったといえる。

なお、社格とは国家による待遇の差を表したもので、その神社への崇敬の厚さを表したものではない。

引用:「神社人」・ウィキペディア


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