2.神道の歴史
自然神信仰からはじまった神道(しんとう)
神道の基本的精神は、まさに、自分次第ということになるのでしょうか。それだけ、曖昧かつ寛容な考え方と言えます。これは結局、原始宗教としての神道が、他の民族のそれと同様、アミニズムと呼ばれる土着型の自然神信仰からスタートしているからだといえます。
アミニズムは、万物有霊節などとも訳されるが、要は、山・川・草・木といった自然物をはじめ、人工の器物にさえ霊魂が宿っているとする考え方で、『広辞苑』では「宗教の原始的な超自然観の一つ」と説明している。つまり人類が宗教を生み出す、始原的な段階での精神活動と考えられるもので、日本のみならず、広く東南アジアなどでも見られるものである。特に農耕民族の場合は、栽培作物、なかでもイネ(稲)の霊魂=稲霊(いなだま)を祀り、豊穣を祈る、農耕儀礼から、原始宗教への発展が認められるが、日本ではこれが神道成立の一つの要素と考えられる。
“シャーマニズム”も、神道を形づくる要素の一つで、巫(ふ)術・呪(じゅ)術などと訳される。巫術師・呪術師・巫女(みこ・シャーマン)などとよばれる人物を媒介として、霊的な存在との接触を行うことである。媒介者は霊に憑かれた状態となって、占い・予言・治療などを行うが、これも日本のみならず、アフリカ、東南アジア、ツングース、アメリカインディアンなどにもみられる宗教的行為である。
わが国では、旧石器時代にはじまって、縄文、弥生といった先史時代に、前期のような要素が基盤となって、原始宗教としての神道が次第に形づくられていったと考えてよいだろう。
有史時代に入ると、山・川・草・木・雷といった自然神や人工の物の尊崇以外にも、社会形態の整備にともない、神話・伝説が形成され、これにまつわる神々が登場してくる。いわゆる記・紀に描かれる世界ですが、このころから、新しく入ってきた外来文化である仏教や儒教への対応という意味もあって、次第に理論化されて、「神道」としての形が整えられていった。
平安時代になると、神道信仰と仏教信仰が融合された神仏習合や、神は仏が日本に現れた仮りの姿であるという、本地垂迹思想などが一般化した。また反本地垂迹説(神が本で、仏が末とする垂迹思想の反対)が登場したりした。
鎌倉時代に入ると、神道教理の研究が盛んになり、伊勢神道、日枝神道、御流神道、吉田神道などの教派が起こってきた。これらの神道は、純粋性には欠けていたが、日本の精神文化に対する研究が土台という要素をもっていた。
その後江戸時代中期に、本居宣長が古学神道を大成させた。本居宣長は『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの古典を文献学的に研究し、儒教や仏教といった外来思想の流入以前の、日本固有の文化や精神を明らかにしようとする国学を体系づけ、この研究を通して古神道を性理して古学神道としてまとめた。
やがて幕末を経て、水戸学と国学を思想的背景として明治維新が成立すると、明治政府は神道を重んじ、これを国教化しようとした。
近代化への第一歩を踏み出したばかりの日本にとっては、先進西欧諸国の帝国主義敵圧迫に対抗するために、国民に精神的な背景を持たせねばならぬとの判断から出たものであったが、そのために、時の政府は、国学を基盤とする古学神道(=神社神道ともいう)を、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祖として体系づけられていた皇室神道と組み合わせて再編成し、これを国家の保護下においた。これを国家神道とよび、宗教としての神道の各教派を総称する教派神道*1と区別している。
この結果、外来思想ともいうべき仏教を神道から分離しようという、神仏分離政策がとられ、極端な廃仏毀釈運動が起こったが、明治政府の仏教圧迫政策は長続きせず、明治八年以後には、またこれまでのように仏教の布教も自由になった。
第二次大戦後、GHQにより国家神道は、軍国主義・国家主義と結びつき、天皇制支配の思想的支柱となったとして解体された。
[註] *1 教派神道明治のはじめに存在した教派のうち、普通はおもな十三派をさす。
修成教・大成教・神習教・神理教・神道本局(のち神道大教)など、古学神道の流れを継承しているものの他、富士山を信仰対象とする扶桑教・実行教、御岳に参ることを目的とする御嶽教のように山岳信仰を基盤とする講の発達したものがある。
また、強烈な信仰体験をもつ教祖の手によって開宗された、禊教・黒住教・金光教・天理教などのように、土俗的、民族的な出発点をもつ教派もあり、これらのほとんどが神道の系列に包括される。
神社本庁には次のように書かれている。
神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。
神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊も、神として祀られました。奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、多くの神々の系譜や物語が収められています。
神道の信仰が形となったものが祭りです。祭りは、稲作を中心に暮らしを営んできた日本の姿を反映し、春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝するものなどがあり、地域をあげて行われます。祭りの日は、神社での神事に加えて神輿や山車が繰り出し、たくさんの人で賑わいます。神道の祭りを行うのは、神社だけではありません。皇室では、天皇陛下が国家・国民の安寧と世界の平和を祈るお祭りを行われています。また、家庭では、神棚の前で家の安全、家族の無事を祈ります。これも小さな祭りといえます。
神道のもつ理念には、古代から培われてきた日本人の叡智や価値観が生きています。それは、鎮守の森に代表される自然を守り、自然と人間とがともに生きてゆくこと、祭りを通じて地域社会の和を保ち、一体感を高めてゆくこと、子孫の繁栄を願い、家庭から地域、さらには皇室をいただく日本という国の限りない発展を祈ることなどです。このような理念が、神々への信仰と一体となって神道が形づくられています。また、神道には、神々をまつる環境として、清浄を尊ぶという特徴があります。神社は常に清らかさが保たれ、祭りに参加する人たちは必ず心身を清めます。これら神道の理念や特徴は、日本人の生き方に深く影響しているといえるでしょう。
神道は、日本の民族宗教といわれ、日本人の暮らしにとけ込んでいます。たとえば、初詣や厄除、初宮参りや七五三、結婚式や地鎮祭など、神道の行事は日常生活のいたるところに見かけることができます。しかし、一般の日本人は、あまりにも身近なせいか、神道について知らないことが多いのも事実でしょう。
(引用:神社本庁)
引用:「仏教・神道の様々な知識」「神社本庁」、「神社人」、ウィキペディア
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