舂米(つくよね)神社(鳥取県八頭郡若桜町)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 神社
読み:つくよね ※舂の字は当地では「旧」だが漢字にない。
須賀の山(氷ノ山)山頂にあった須賀の宮権現を現在地へ
蔵王権現と称していた
所在地 鳥取県八頭郡若桜町舂米(つくよね)174
旧地名 因幡国八上郡
御祭神 天之御中主神(アメノミナカヌシ)
高御産巣日神(タカミムスビ)
神御産巣日神(カミムスビ)
[造化三神] 例祭日

社格等

近代社格制度
創建
本殿様式 一間社流造り、向拝唐破風 本殿は弘化2年(1845)に建て替え

境内摂社(祭神)

ヒノキ とっとりの名木100選

一口メモ

式内社ではないが、立派なお社。境内は旧道を短縮する国道482号バイパスによって狭くなっている。
江戸時代・明治時代までは伊勢参りの氷ノ山越えの道だったそうで、 907d391453e65faff0539bcb7877010dにはその宿があったそうだ。
平成12年11月19日(日)わたしたち日高町東構区8組(隣保)一行は、東構区舂米神社の本社である鳥取県若桜町舂米(つくよね)を訪れた。正直に言ってそれほどすごい神さんとは子供時代から最近まで思っていなかったのですが、氷ノ山を囲む4国の総社であったならすごい神社である。なお東構の神社でも舂米の臼がなぜか旧の時になっていて、本来は若桜町の舂米神社の分社なのだから、臼が正しいのではないのかと思うのだけれど、どうしていつのまにか旧になったのであろうか。

また、舂の漢字は存在するが「臼」の部分を「旧」にした漢字は第一、第二水準漢字には存在しない文字だからなのである。

歴史・由緒等

氷ノ山の山頂に須賀の宮権現があった。
この神社は明治3年周辺3か村で下ろすことになった。

兵庫県養父市鵜縄には、志賀峰神社、
兵庫県養父市大屋町横行には、四ケ峰神社(しかのみねじんじゃ)
鳥取県八頭郡若桜(わかさ)町には、舂米神社(つくよねじんじゃ)

大字舂米(つくよね)では、舂米神社(つくよね)となった。但馬側でも須賀の山に由来する神社名が使われている。

御祭神の三柱は、古事記では、序文に次いで本編の冒頭で創世編の記される天地開闢てんちかいびゃくに最初に登場する三神。「造化の三神ぞうかのさんじん」と呼ばれ高天原に現れた最初の神々である。舂米神社はその「造化三神」を祀る。

神社」 鳥取県八頭郡若桜町

解説

天と地が初めて分れたときに、高天原たかまがはらに現れた神々で、天之御中主神あめのみなかぬしのかみ、次に高御産巣日神たかみむすひのかみ、次に神産巣日神かみむすひのかみである。この三柱の神は「造化三神」と呼ばれ、妻や子のいない独神で、姿かたちもない。天地創造の三神(造化の三神)と天に成った二神である。

活力の神、宇摩志阿志訶備比古遅神うましあしかびひこぢのかみと天の神、天之常立神あめのとこたちのかみは、国がおさなく、脂が浮いた状態で海に浮かぶクラゲのような状態になったときに現れた神々。この二柱を加えて五柱の神を天津神の中でも特別な存在として、「別天神ことあまつかみ」としている。
(以下、文と分けるためカタカナで表記する)
アメノミナカヌシは高天原の主宰神であり、天の中央に座まする宇宙の根元神で、皇室の祖神。タカミムスビノカミは、カミムスビ一対とされる。
タカミムスビは、葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神たかぎのかみと呼ばれ、高天原系(天津神)で天皇の潮流に強く関わる。別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。
カミムスビは出雲系の国津神とされ、出雲神話にも登場する。この二柱の産巣日(むすひ)は、生産や生成を意味する言葉で、ともに創造を神格化した神とされる。また男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる。別天津神の次に神世七代の神かみよななよのかみが現れる。これらの神々の最後に生まれてきたのが男の神イザナギ(伊弉諾尊・伊邪那岐命)と女の神イザナミ(伊弉冉尊・伊邪那美)である。

天地開闢はこれで終わって、「国産みと神産み」に移る。イザナギ・イザナミの両神は自らがつくったオノゴロ島に降り、結婚して最初に淡路島が作られた。次に大八洲と呼ばれる日本列島を形成する島々を次々と生み出していった。さらに、さまざまな神々を生み出していった。その神々の中でも最も尊いとしたアマテラス(『古事記』においては天照大御神あまてらすおおみかみ、『日本書紀』においては天照大神あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と弟ツクヨミ(月夜見尊、月読命)(記紀に性別についての記述がなく実際は性別不明)・弟スサノオ(建素戔嗚尊速、素戔男尊、素戔嗚尊、須佐之男命)の三神を三貴子さんきしと呼ばれ、アマテラスは、皇室の祖神で、日本国民の総氏神とされる。

アメノミナカヌシは上記の二柱の上に位置し統率するイメージだが、どうやら二柱が先にあって、後から二柱の間に足された?とも言われている。
というのも古事記を読み進めていると、後からたびたび登場する「三と五と七という数字を好む」という考えから数合わせで作られたという説も。
独神というと妻も子もいない神と解釈されているが、単に対となる相手が居ない神だといえる。この三柱にははっきりとした性別がなく、かなり漠然とした神という存在であるが、タカミムスビとカミムスビはその子孫が登場する。アマテラスの御子神・アメノオシホミミがタカミムスビの娘タクハタチヂヒメ(栲幡千千姫命)と結婚してアメノホアカリ(天火明命)と天孫ニニギ(瓊瓊杵尊)が生まれる。

舂米

舂米とは、年料舂米(ねんりょうしょうまい)のことで、日本の律令制において、諸国より毎年一定量の舂米を中央に貢進させる制度、またその舂米そのもののこと。
延喜式においては、畿内周辺及び沿岸諸国を中心とした22ヶ国より貢進が行われ、大炊寮に対して白米17,330斛と糯米260斛、内蔵寮に対して黒米200斛、民部省に対して黒米500斛の貢進が行われた。(ウィキペディア)

デジタル大辞泉の解説
しょう‐まい【×舂米】

1 米を臼でつくこと。また、ついて白くした米。つきよね。
2 奈良・平安時代、諸国で脱穀して京都に輸送し、大炊寮(おおいりょう)や内蔵寮(くらりょう)に納めた米。

境内・社叢

地名・地誌

つく米

舂米は江戸時代・明治時代までは伊勢参りの氷ノ山越えの道だった
因幡・但馬・播磨・美作の4か国の中で最も標高が高い集落であり 戸数も多くあった。かって峠の宿場町として栄えていたという証でもある。「こん近のblog」さん

舂を代用して用いているが、Google mapでもこの字がないので「つく米」と表記されている。

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考


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