韓国神社(式内 韓国物部神社)
概 要
社号 韓国神社
延喜式神名帳 式内社 但馬国城崎郡 韓国物部神社
読み :古 物部モノゝヘ、現 韓国からくに
『国司文書 但馬神社系譜伝』に物部神社
江戸時代は「宸旦国大明神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市城崎町飯谷250
旧地名 但馬国城崎郡田結郷
御祭神 物部韓国連眞鳥命(モノノベカラクニノマトリ) 物部韓国連墾麿命(モノノベカラクニノコマノミコト)
例祭日 10月15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡[キノサキ]:21座大1小20
近代社格制度 旧村社
創建 白鳳3年(652) 城崎郡司・物部韓国連久々比(鵠)がこの地に祀る
本殿様式 入母屋造 柿葺
境内摂社(祭神)
稲荷神社
一口メモ
円山川対岸(右岸)。
集落の中程に東へ神社へ通じる一本道を進む。
手前の飯谷峠を越えると畑上の重浪(しぎなみ)神社や気比神社に行ける。韓国神社の社号から朝鮮半島からの渡来人に由来しているのだろうかと長い間思い込んでいたのだが…
歴史・由緒等
由 緒
当社は元々、飯谷川の上流、通称「森さん」と呼ばれる場所にあったがその後、現在地から700m奥の宮ノ下へ遷座。昭和2年(1927)3月7日、奥丹後震災による山崩れにより社殿が全壊し、現在のシケ谷へ移転新築された。
近くには戸島湿地帯が広がり、コウノトリ人工巣塔には時折コウノトリが舞い下りる。
-「兵庫県神社庁」-
『国司文書 但馬故事記』
人皇30代(異説あり)欽明天皇の25年冬10月、大売布命の末裔・韓国連榛麿を以って、城崎郡司と為す。
物部韓国連は、武烈天皇の勅を奉じ、韓国に遣われ、復奏*の日、姓(かばね)物部韓国連を賜いし者、榛麿(はいま)はその子なり。
韓国連榛麿は針谷(榛谷、今の飯谷)を開き、住処(すみか)となす。故(かれ)榛谷(はいだに)と云う。父 物部韓国連を榛谷丘に祀り、物部神社と云う。(また韓国神社とも云う)
人皇34代(異説あり)推古天皇の35年冬12月、
物部韓国連榛麿の子・神津主を以って、城崎郡司と為す。神津主は物部韓国連榛麿を榛谷丘に葬る。
この時大旱(たいかん・日照り)に依り、雨を小田井県宮に祈り、戒器を神庫に納め、始めて矛立神事を行う。(小田井神社に現存)
また、祖先累代の御廟を作り、幣帛を奉り、豊年を祈り、御贄田・御酒所を定め、歳事これを奉る。
また海魚の豊獲を海神に祈る。これにより、民の幾渇を免れる。
ゆえに、酒解子神(さかとけこかみ)・大解子神・小解子神を神酒所に、保食神(うけもちのかみ )を御贄(みにえ・今の三江)村に斎き祀る。(式内酒垂神社:豊岡市法花寺、御贄神社(現存せず)。御贄村は今の豊岡市三江)
『国司文書 但馬神社系譜伝』
田結(たい)郷
物部神社 城崎郡墾谷村鎮座
祭神 物部韓国連命
もとは楽々浦に祭ってあった社を当地に遷社したと書いてあるから、円山川の大きな入り江であった楽々浦を朝鮮半島への船停まりに利用していただろうか。
物部神社とも称され、社伝によると、武烈天皇の命を受けて韓国(朝鮮)へ派遣された物部眞鳥(まとり)が但馬の水戸(楽々浦)に着き、都へ報告に上った。
その功績によって、韓国連を賜わり、以後、物部韓国連眞鳥と称した。
したがって半島渡来人が神ではなく、韓国(からくに)を統治した連という韓国連眞鳥を祀った社である。
物部氏族が銅鐸や神事と結びつきが濃いことは疑いないが、但馬で唯一の4個の完全銅鐸が発見された。そのひとつが加茂岩倉銅鐸・島根県雲南市と兄弟銅鐸とされる。気比銅鐸発見場所は、飯谷から飯谷峠を越えた集落が畑上、秦氏と関係がありそうだし、隣が気比であり気比神社が建っている。大和から円山川を経由して気比の浜から海を渡る朝鮮半島への玄関口として、そのルートへ繋がる要所だ。といってもその頃半島も日本もまだ国があったわけではなく、半島は秦や漢の一部か郡であり、新羅・百済国は存在していないしましてや大韓民国は戦後から韓国と呼ぶようになったので混同してはおかしくなる。古くは日本からみて外国とは大陸の中国と朝鮮半島ぐらいであり、「韓国(からくに)」とは外国をさす総称である。
境内・社叢
社叢 鳥居
手水舎 社号標
境内 鳥居奥の狛犬 拝殿・本殿
拝殿前の狛犬
境内社
石灯籠 健在碑
地名・地誌
飯 谷(はんだに)
校補但馬考によれば、「弘法大師性霊集曰く、弟子僧眞体が為すに、亡妹七々の斉を設け、伝燈料田を奉入する願文に曰く謹て天長三年十月八日を以て、先人遺す所の土佐国久満弁(クマニ)田村庄と、美作国佐良庄と、但馬国針谷の田等を、永く神護寺の伝法料に奉入す。按に、針谷何の地なる ? を知す。飯谷と音似たるゆえ、後世誤れるか、今しはをくここに記して、他日の是正を待つのみ。」