府社 大石神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 大石神社
読み:おおいし
所在地 京都市山科区西野山桜ノ馬場町116
旧地名 山城国宇治郡
御祭神 大石内蔵助良雄
例祭日 4月14日(春季大祭)・12月14日(義士大祭)

社格等

中世社格制度 旧府社

創建      昭和十年(1935)
本殿様式   流造

境内摂社(祭神)

義人社(天野屋利兵衛)

その他

・宝物殿・しだれ桜

一口メモ

大石内蔵助の妻・大石理玖(りく)は、但馬国豊岡藩の豊岡京極家の家老・石束宇右衛門の娘でした。豊岡市に住む私にとってぜひ訪ねてみたかった神社のひとつ。
大石神社は兵庫県赤穂市とここ山科区にある。伏見から名神高速道路と並行して通る府道35号線で。

歴史・由緒等

社地の付近は、1701年(元禄14年)7月から1702年(元禄15年)9月まで良雄が京都に隠棲し、義挙の議をめぐらしたときに居宅を構えた地である。主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因み、「大願成就」の神徳で信仰を集める。

大石神社は昭和十年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため大石内蔵助良雄公をご祭神として、大石隠棲の地に京都府知事を会長とする大石神社建設会、山科義士会、また、当時浪曲界の重鎮であった吉田大和之丞(奈良丸)を会長とするもの等の団体が組織され、全国の崇敬者により創建された。

元禄十四年 (一七〇一) 三月、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城内松の廊下において、吉良上野介義央に対し刃傷におよび、内匠頭は即日切腹、御家断絶、領地没収となり、赤穂藩の城代家老大石内蔵助良雄は城明け渡しの後、同年六月二十八日、以前からこの付近の田地、屋敷を持っていた親類の進藤源四郎の世話でこの地に移った。閑静で人目につきにくく、かつ交通に便利で、事件の善後策を講じるのに何かと便利であり、この地でしばしば同志の会合を開いた。また、敵の目を欺くため、伏見撞木町、祇園一力亭などで遊興にふけった。はじめは、はやる同志をおさえて、亡主内匠頭の弟大学長広をたてて主家の再興を謀った。しかし、翌、元禄十五年夏、結局再興は許されず、吉良邸討入りに方針を固め、同志は密かに江戸へあつまった。
(中略)
明治天皇が 「百世の下感奮興起せしむ」 と仰せられたその義挙と誠忠は今日に到っても広く熟知され、そのご神徳 (大願成就) を心に秘めて、討入りの十二月十四日の義士行列等の義士祭はもとより、一年をとうして全国より多数の参拝者がみえる。

『神社公式サイト』 http://www.ohishi-jinja.jp/

境内・社叢

  
社号標                      社号標

   
狛犬

  
手水舎                      境内鳥居・社殿

   
拝殿前狛犬

  
拝殿

  
拝殿扁額                     本殿


境内社 義人社(天野屋利兵衛)

赤穂義士討入りに際し、必要な武器を調達した。 大阪の本町橋に店をかまえ北組惣年寄の大阪の豪商であり、「商売の神様」 と言われ、現在も (商売繁盛) の信仰があつい。「天野屋利兵衛は、男でござる。」 の名ゼリフは有名である。

  
天神うし                     大石内蔵助像

地名・地誌

地 図

京都市山科区西野山桜ノ馬場町116

交通アクセス・周辺情報

京阪バス
山科駅・四条河原町南・三条京阪より
どのバスも大石神社前下車徒歩1分

自動車 名神高速道路 京都東ICより20分
(無料駐車場あり 20台)

ホームページ 『神社公式サイト』

参 考

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