式内 朝山神社
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概 要
社 号 式内社 出雲国神門郡 朝山神社
 朝山社「出雲国風土記」
 読み:古 アサヤマ、現 あさやま
 江戸時代は「雲井瀧大明神」「宇比瀧大明神」と称していた
 所在地 島根県出雲市朝山町1404 (〃大字上朝山字比多伎1404)
 旧地名 出雲国神門郡
 御祭神
 真玉者玉邑日女命(またまつくたまのむらひめのみこと)神魂命の子。大穴持命の妻の一人。神魂命 大己貴命
例祭日 4月10日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
 山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
 出雲国 187座(大2座・小185座)
 神門郡(カムト):27座(並小)
『出雲国風土記』「淺山社」
近代社格制度 旧県社
創建     天平5年(733)『出雲国風土記』に「淺山社」と記載があるのでそれ以前
 本殿様式   大社造変態 銅板葺
【別当】鰐淵寺
境内摂末社(祭神)
星宮社   御祭神 皇之命
 船子神社  御祭神 猿田彦命
 杉尾神社  御祭神 豊受姫命 字杉尾に鎮座せしを明治5年当社に合殿
 朝山十九社 御祭神 八百萬神 旧10月1日より十日の間八百萬神御旅所 平日は八百萬神の遥拝所
一口メモ
同月2日、須佐神社まで行って日が暮れてしまい残念な思いをしながら通り過ぎた神社だ。国道から参道への社号標がある。元々は山頂を徒歩で参拝したが、現在は車道ができている。ただし直線距離はそうでもないのにかなりカーブが多い。山頂に着くと高原のように平坦で広いので驚いた。
歴史・由緒等
標高160mの山頂に鎮座する。
 この山は大神の御屋であるとの傳承があり、この山の社前20mの地に雲居に懸ると形容される高さ約100mに垂んとする見事な瀧がある。
御由緒
主祭神 眞玉著玉之邑日女命は神魂命の御子にして姿容端正淑徳玉の如し坐し坐せば「大己貴命娶り給いて毎朝に通い坐しき故朝山と云う」と出雲風土記に記さる。
当社の創立については当地方の神楽歌に
「ありがたや宇比多伎山の宮造りこれぞ社の初めなるらむ」
と歌はれる如く余りにも古く古典に依れば出雲風土記に淺山社 延喜式神名帳に朝山神社と記さる。
当社は往古より山美しく水清き宇比多伎山に御鎮座坐し坐し位置を移せしことなく故に中世より宇比多伎大明神とも申し奉る。
天武天皇以来皇室を始め毛利市松平氏等領主の崇敬厚く右文書に依れば毛利氏出雲国を領し時の左の棟札あり
永楽9年9月18日遷宮
大檀那大江朝臣坂本貞公武運長久
文禄5年丙申歳遷宮
護持旦那王中藤原朝臣元圓武運長栄「社頭掲示板」
「延喜式神社の調査」さん
出雲国風土記、神門郡朝山郷の由来に、 「神魂の命の御子、真玉着玉の邑日女の命がいらっしゃった。 その時、この世をお造りになった大神大穴持の命が、結婚なさって、朝ごとに、お通いになった。だから。朝山という」とある。
 -『中海・宍道湖・大山圏域市長会/中海・宍道湖観光協会会議』より-
境内・社叢
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 道路脇の社号標                 一の鳥居
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 神社入口の鳥居                 鳥居扁額
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 随神門
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 手水舎                     古い手水鉢
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 狛犬 来待石構え獅子型
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 拝殿                      拝殿扁額
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 本殿
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 本殿左手境内社 船子神社            本殿右手境内社 星宮神社 杦尾神社
  
 〃 境内社 朝山十九社
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 相撲桟敷                社務所は通常撮影しないが、とても年期があり趣があるので撮影
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他

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