式内 意布伎神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 式内社 丹後国熊野郡 意布伎神社
読 み:古 イフキ、現 いぶき
所在地 京都府京丹後市久美浜町三分
旧地名 丹後国熊野郡田村郷
御祭神 氣吹戸主神(イブキドノヌシノカミ)
例祭日 4月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
熊野郡(クマノ):11座(並小)

近代社格制度 旧村社

創建     垂仁天皇の朝丹波道主勸請
本殿様式

境内摂社(祭神)

愛宕神社・稲荷神社・寒川神社・住吉神社・道田神社・社日社

一口メモ

日本海の久美浜湾東岸、北近畿タンゴ鉄道の丹後神野駅に近く、チューリップ栽培で知られ、子供の頃からよく来た馴染みのある場所にある。今回は国道312号線から、178号線へつながる府道668号線を女布の売布神社を再度立ち寄ってから目指した。

歴史・由緒等

祓戸四柱(はらえどよはしら)の一神。「気吹」は気を吹くで、海原にある風の動きを神格化した神とされる。瀬織津比咩によって運ばれた罪穢れは、速秋津日咩により飲み込まれ、この気吹戸主神が根の国に吹き去ってくれる。

由緒

当社は垂仁天皇の朝丹波道主命の勸請せられた處にして、式内村社で天正4年11月村中大火に際し神社も類焼の厄にかかり、文書寶物等一切焼失せりという。海部村大字油池にも伊吹神社あり、元油池に鎮座せるを嘉慶年間兵火の為頽廃せるにより字三分に移轉せりとの説あれど、徴證すべき正確な文書乏しければ、その正否を断ずる事困難なり。而して当社殿は明治22年の改築にして、明治40年3月神饌幣帛科供進神社として本郡村社中第1位に指定せられた。
「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年

もと意布伎神社は意布伎=油池の意布伎山腹小字「神座」に鎭座していたが、嘉慶年中(1387-89)戦火のため社殿破壞消失した。
その後久美浜町三分に移転したとの説があるが、正確な文書が乏しいので、その正否を決めることは困難である。

境内・社叢

  
境内                      拝殿

  
拝殿・本殿                   本殿左境内社


社の杜に境内社が集まっている

  
愛宕神社                    道田神社

  
寒川神社                    社日塔

地名・地誌

地 図

京都府京丹後市久美浜町三分

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん

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