出雲神社(名神大 論社)

出雲神社(名神大 論社)

概 要

社号
読み:古 イツモ、現 いずもじんじゃ
所在地 京都府亀岡市本梅町井手西山6
旧地名 丹波国桑田郡本梅村
御祭神 大己貴命
例祭日 10月10日 秋祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
桑田郡(クワタ):19座(大2座・小17座)
式内社(論社)

近代社格制度   旧村社

創建       年代不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

稲荷神社

一口メモ

国道477号線本梅小学校のすぐ裏手にあるが、その細い道をくねくねと進み、境内に着く。参拝後、より広い道が神社左手にあったようだ。

亀岡市千歳町出雲無番地の名神大 丹波国一宮 出雲大神宮とともに式内(名神大) 出雲神社の論社となっている。といっても、元社かというと、 出雲大神宮は、
『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。即ち今の出雲大社これなり。」と記され、当初より背後の千年山の中心御影山を御神体山とし、移転の記録はない。とすれば、出雲神社の旧社地なのかどうかがわからなくなるが、大岩と呼ばれる大きな磐座があり、古くから信仰を集めていたことは確かである。

歴史・由緒等

出雲神社

当社の社伝によれば往古より社地に大岩あり、その岩の傍らに出雲大明神と称する祠あり、早田太夫なる者、承正年中迄奉祀す。天正年中大己貴命を祭神とし社殿を建立したるも同年中、戦国時代の兵乱に遭い社殿古記録等焼失す。」とあり、案ずるに当社は約2000年程前にこの地に住み着いた人達によってこの大岩に神を迎えて祭った岩座祭祀で最古の神社形式で広峰神社(本梅町中野)と同じ出雲系の部族によって祭られたものと思う。

祭神も大己貴命で広峰神社の御子である。大明神という神号は鎌倉時代以降の者で承正という年号はない。仮に承久と定めるが早田太夫とある「太夫」は室町時代から一般に使用されたと思われる。よって右社伝は正確とは云いがたい。然し天正年中(1573~91年)社殿を建立したのは確であろう。それまでは社殿は無かったのではないか。兵火に会い、後再建され、明治までは出雲大明神と称し、明治3年出雲神社と改称、明治6年6月、村社に列格、昭和4年、現在の立派な社殿に大改築された。

「社頭掲示板」

境内・社叢

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鳥居                   手水鉢

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社頭掲示板

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拝殿(舞殿)

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狛犬

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本殿

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本殿             境内社 稲荷神社

大岩 鳥居のすぐ左手に大岩が目に入る。元はこの大岩が磐座(御神体)だったようだ。

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地名・地誌

本梅(ほんめ)

江戸時代まで、丹波国桑田郡本梅村
1879年(明治12年)3月14日 郡区町村編制法制定に伴い、京都府桑田郡を南桑田郡と北桑田郡に分割した事で発足。
1955年(昭和30年)1月1日 亀岡町・(南桑田郡)東別院村・西別院村・曽我部村・吉川村・薭田野村・本梅村・畑野村・宮前村・大井村・千代川村・馬路村・旭村・千歳村・河原林村・保津村が合併し、亀岡市が発足。

亀岡市西南端、国道を少し進めば大阪府能勢町。亀岡は摂津・山城に接し、古代には丹波国府が置かれたこと、中世に波多野氏が居城した数掛山城(本梅城)、そして丹波国・西近江を治めた明智光秀が亀岡(旧名は亀山)に亀山城を築いたこと、改めて重要な要衝なのだと感じた。
地図

京都府亀岡市本梅町井手西山6

交通アクセス

国道477号線本梅小学校前

周辺情報

参 考

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