村社 岩瀧神社(豊岡市日高町篠垣)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 岩瀧神社
読み:いわたき

所在地 兵庫県豊岡市日高町篠垣字宮ノ上116
旧地名 但馬国気多郡楽前郷
御祭神 主祭神 大綿積命(おおわたつみのみこと)
例祭日 10月9日

社格等

近代社格制度 旧村社

創建  年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

国道482号線伊府交差点を南西に左折し、稲葉川の橋を渡ると篠垣の旧道が再び県道と交差する場所に近い。バイパスから社叢がよく目立つ。

歴史・由緒等

由 緒
創立年月不詳

宝暦13年(1763)本殿を上棟し、文化14年(1817)同殿を建立し遷宮を行う。

明治6年(1873)10月村社に列し大正4年(1915)霊代を奉造せり。
-「兵庫県神社庁」-

境内・社叢

  
社叢(杜の手前は区公民館)

  
鳥居                       神橋

   
狛犬

  
本殿覆屋

  
境内社

地名・地誌

篠垣(しのがき)

『国司文書 但馬郷名記抄』(第一巻・気多郡郷名記抄)

佐々前郷は、いま楽前郷と書す。献神の義なり。この故に名づく。
伊布・篠民部・佐田・伊原・野中
(今の伊府・篠垣・佐田・道場・野)

『国史文書・但馬故事記(第一巻気多郡故事記)』
佐久津彦命は篠生原に御津井を掘り、水を灌ぎ、御田を作る。後世この地を名づけて、佐田稲生いない原という。いま佐田伊原と称す。

『三方村誌稿本』にも、「国史文書の、多分、篠生(しのかひ)の転訛ならん。

と記しているが、篠民部とは篠の民部(かきべ)のことである。
民部は部曲とも書き、『大辞林』(三省堂)には、「古代の部民(べみん)のうち,豪族が私有した民の総称。一定の技術をもって各豪族に隷属していたものもいたが,大部分は農耕に従事していたとみられる。大化改新の後,ほとんどが公民とされた。かき。かきのたみ。ぶきょく。」とある。「しのかきべ」と読むから、篠民(しのかき)から篠垣へ字が転じたのではないだろうか。

地 図

兵庫県豊岡市日高町篠垣116

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」

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