名神大 雷神社
概 要
社 号 式内社(名神大) 但馬国気多郡 雷神社
読み: 古 ライ 現 いかづち
所在地 兵庫県豊岡市佐野字稲場542-2
旧地名 但馬国気多郡狭沼郷狭沼村
御祭神
御祭神 大雷神(オオイカヅチ)
配祀 須佐之男命(スサノオ) 菅原道眞
『国司文書 但馬故事記』は、火雷神(ほいおいかづちのかみ)(亦の名 別雷神(わけいかづちのかみ))
例祭日 10月15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
気多郡(ケタ):21座(大4座・小17座)
式内社(名神大)
『気多郡神社神名帳』記載三ニ社のひとつ
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
(『国司文書 但馬故事記』人皇四十二代文武天皇の慶雲三年(707)七月)
本殿様式 五間社切妻造 三間社向拝付 桧皮葺
境内摂社(祭神)
文化財
県指定文化財 雷神社本殿
昭和四十三年三月十六日指定
一口メモ
国道312号線を但馬空港へ行く。山陰線納屋踏切を過ぎて但馬空港へ行く県道交差点をまっすぐ旧道を集落へ行くとその大門の畷、大きな鳥居が見える。
ここら参道があるが、坂がきついので、以前はここまでで引き返した。
気多郡狭沼郷は「さの」と読む。今は佐野と書く。東限はこの佐野から、上石、竹貫、さらに西は八代谷といい、竹野の椒・三原までの広大な郷だった。
上佐野から境内まで、軽四なら楽に通れる道が整備されているのが分かったので人に聞いて車で登る。帰りは佐野への別の道から降りた。
なお、当地は城崎郡と気多郡にまたがった地にあり、明治維新までは、氏子も両郡にまたがって存在していた。明治に国府村が発足する時に、上石、竹貫、納屋、上佐野、佐野は国府村であったが、のちに豊岡町(市)へ編入となった。
歴史・由緒等
雷神社 由緒
創立年月不詳
文武天皇慶雲3年(706)丹波但馬の2国に山災ありしかば勅使を遣して神祇に幣帛を奉らしめ給いし時、当社も亦其の幣帛に預りしものなるべし。
仁明天皇承和9年(842)官社に預り、清和天皇貞観10年(868)従5位上の進階あり。延喜式の制名神大となり醍醐天皇延喜22年(922)勅使の差遣ありと伝う。
村上天皇の御代又特使の発遣ありしかば勅使門を立つ其の故に4月朔日の田植式に勅使の参拝ありしとの口碑あり。
光明院康永2年(1343)杉原白耆守本殿階段を修理し且つ本殿覆を建立す。江戸時代明暦2年(1656)五味備前守本殿流造檜皮葺向拝を附して再築し、万治元年(1658)同人は荒神山岬にありし鳥居を天神山麓に移す。之より先、慶安5年(1652)領主杉原白耆守石高7斗2升5合、外に田及び山林を寄進せり。
明治維新後氏子の気多郡に属せる上佐野村を須賀神社氏子とし明治6年(1873)10月村社に列せらる。同26年(1893)上佐野村須賀神社を合祀して先に分離せる氏子の復旧を見たり。
-「兵庫県神社庁」-
創立年月不詳なれど、文武天皇慶雲三年、因幡(丹波?)但馬の国に山災ありしかば、勅使を差し向き 御幣を奉しむ。
承和九年、官社に預かる。
のち延喜式の制名神大社に列せらる。
村上天皇の御代、勅使門を建て勅使を迎え、お田植舞を奉納す。
光明院康永二年、杉原伯耆守 本社を修理。石高七斗二升五合、他に田山林を寄進する。
明暦二年、五味備前守 向拝を附し、本殿を再築し、萬冶元年、鳥居を現在地に移築する。
昭和八年五月、修復工事完了。
昭和四十年三月、兵庫縣重要文化財指定さる。
『延喜式神名帳』比定社は 雷神社 名神大
兵庫県豊岡市日高町稲葉
としている。
同じ気多郡なので混同されたようだ。
『国司文書 但馬故事記』
人皇四十二代文武天皇の慶雲三年七月、
丹波・但馬二国山災となる。
使を遣わし、神祀に幣帛を賜る。
すなわち雷声弊に応じ、たちまち消滅を忍ばす。よって雷神を狭沼丘に祀り、長く雷災の免れることを祈る。
『校補但馬考』
雷(イカヅチノ)神社
類聚国史曰く、清和天皇貞観十年十二月二十七日丙戌、但馬国従五位下 雷神に、従五位上を授かる。
延喜式を考えれば、雷神じゃは名神大社なり。三大実録にこの贈官の事を載せて、雷椒神と記せしは誤りで、[木蜀]椒神社とシ軍じたるなり。今佐野天神と称えるのはこれなりという。別雷(ワケイカヅチ)の神なるべし。国神を名乗るは、皆天神と称えるなり。俗に、菅家の御これなりというは、雷となり賜いしと云う
文明三年、大須賀時基郡境記曰く、気多郡、城崎郡、竿(ササ)の始まり、郡の境、一つ佐野天神一町上(上佐野)は、大門の畷。舟山が限り、水は流れ次第、空は斧磨ぎ、むねあり、八代、城崎郡の 、境はドタカ谷、むねはり、横飛越えカ限り、峯(トウゲ)は、道祖神、…。
境内・社叢
上佐野交差点の突き当り
この鳥居からが本来の参道
上佐野区公民館側からの車道 佐野区側からの車道
境 内
境内神橋・御神門
神橋 左手境内社
拝殿 拝殿扁額
拝殿の御由緒板
田植え歌 歌詞
拝殿と本殿間の渡り廊下 本殿
地名・地誌
佐野
気多郡狭沼郷
気多郡国府村
1955年(昭和30年)3月25日 – 日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合併し、新しい日高町が発足。
タグ
昭和30年に気多郡は城崎郡日高町、国府村北部の上佐野・納屋は豊岡市に編入となり旧日高町ではありませんが、旧城崎郡ではないのでタグは日高町(旧気多郡)としている。
地 図
交通アクセス・周辺情報
こうのとり但馬空港
参 考
「延喜式の調査」さん、他-
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