式内 久流比神社
概 要
社号 式内社 但馬国城崎郡 久流比神社
読み: 古 クルヒ 現 くるひ
所在地 兵庫県豊岡市城崎町来日ロ587-2
旧地名 但馬国城崎郡田結郷久流比村
御祭神 闇御津羽神(くらみつはのかみ)
例祭日 10月15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡:21座大1小20
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流造 柿葺
境内摂社(祭神)
不詳
一口メモ
早朝、上佐野の雷神社からはじまった豊岡市内、竹野、日和山、城崎と13社あまり回った神社もこの神社が最終。時計は12時を回っていた。
来日(くるひ)は城崎温泉のすぐ手前、来日岳南麓にある集落。
この山の読み方は、地元でも各地域によって異なり、くるひだけ・くりいだけ・くるひやま・くりいざんなどが有るが、我が町では来日山(くりいさん)という。山頂からの見晴らしはよく、大岡山、蘇武岳、遠くには但馬の屋根・氷ノ山などが望め、眼下には豊岡盆地、円山川、日本海が眺められ、早朝の雲海が美しい。付近の学校では遠足に行く機会が多い山。
標高556.7mで兵庫50山の一つ。但馬北部のテレビ・FMラジオ中継所やさまざまな電波塔の要であり、林立している。
歴史・由緒等
由 緒
創祀は不詳ではあるが、元々は来日岳に鎮座していたが宮代谷の地に移されて、宮代さんとも呼ばれていた。慶長11年(1606)に神社裏山が崩壊したため現在の地に遷座された。
-「兵庫県神社庁」-
伝説に「狂いの土蜘蛛、来る日の岳にこもる」とあり、来日足尼命はこの土蜘蛛を征伐したといわれている。
(人皇十代崇神天皇十年(紀元前88年?)秋の丹波国青葉山の賊・陸耳(くがみみ)の子細は、ほぼ重複するので割愛する。)
陸耳らは船に乗って、海に浮かびました。王軍はこれを追い、多遅麻黄沼前(きぬさき)の海に迫りました。すると暴風雨が起きて、三昼夜真っ暗になりました。ゆえにこの海を名づけて、久留比(くるひ)または久良比(くらひ)海と云います。
その時に、狂の土蜘蛛が賊党に加わり、賊の勢いが増しました。ゆえにその海を名づけて、威振海(いぶりうみ)と云います。
天伸地祇の擁護によって賊の勢いは衰えました。そして王軍は勢いを得て賊を追い、美伊県の鎧浦(現在の香美町香住区鎧)に至り、
来日足尼(くるひのすくね)は、土蜘蛛を討ち、
当芸利彦命は御笠を討ち、
11月3日 皇都に凱旋しました。
天皇は彦坐命(ひこいますこのみこと)の功を賞し、丹波・多遅麻・二方の三国を与え、大国主としました。
12月7日、
多遅麻朝来県に下向し、宮を粟鹿に建て、ここに住みました。
天皇は将軍・丹波道主(たんばのみちぬし)命を使い、その他の諸国を巡察・平定されました。
11年夏4月(紀元前87年?)、
宮に還り、諸将を各地に置き、鎮護としました。
丹波国造 倭得玉命(やまとえたまのみこと)
多遅麻国造 天日楢杵命(あめのひならぎのみこと)
二方国造 宇都野真若命
その命に従いました。
この時、
黄沼前県主 穴目杵(あなめき)命・美伊県主 武額命命
気多県主 当芸利彦命・夜夫県主 美津玉彦命
比地(のちの朝来)県主 美穂津彦命・伊曾布県主 黒田大彦命
皆は粟鹿宮に朝(まい)り、その徳を喜びました。
朝来の名は実にここに始まります。
穴目杵命は新田を開きました。これを新墾田(にいはりた)(新田村、現在は豊岡市)と云います。
第11代垂仁天皇45年(16)夏6月 穴目杵命の子・来日足尼(くるひのすくね)命は、黄沼前県主としました。来日足尼命は穴目杵命を篠丘に葬りました。(式内 穴見杵神社:兵庫県豊岡市大篠岡377-1)
第12代景行天皇32年(102)秋7月 伊香色男(いかしこお)命の子・大売布命を、黄沼前県主としました。
大売布命は気多の射楯宮にいて、この地を治めました。来日足尼命は、その久流比宮に鎮まりました。(式内 久流比神社:兵庫県豊岡市城崎町来日ロ587-2)
『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇十代崇神天皇十年(紀元前88年?)秋九月、将軍丹波道主命に給い、狂(くるひ)の土蜘蛛を美伊県鎧浦において誅し功有り。故に姓「来日の足尼(すくね)」を賜る。
人皇十一代垂仁天皇の四十五年(16年)夏六月、来日足尼は黄沼前県主となり、来日宮にあり、穴目杵命(黄沼前県主)の子なり。
人皇四十代天武天皇の白凰三年夏五月、祭祀を奏行す。同じく他の諸神をも祭祀す。
闇御津羽神(くらみつはのかみ)
クラミツハとは、日本神話に登場する神で、『古事記』では闇御津羽神、『日本書紀』では闇罔象神と表記。日本神話では、神産みにおいて、伊弉諾尊が軻遇突智命を斬り殺した際に生まれたとしている。『古事記』及び『日本書紀』の一書では、御刀の柄に溜まった血が、指の間から漏れ出て、闇淤加美神(くらおかみのかみ)とともに闇御津羽神が生まれ、『日本書紀』の一書では迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱が高龗神(たかおかみのかみ)であるとしている。
また、別の一書では闇山祇(くらやまつみ)を加えた三柱神が生まれている。
神名の意味で「闇」は谷間を、ミツハは罔象女神の罔象と同意味の水の神で、「水つ早」と考えられ、「早」は早いことを意味し、始め、端、初期といった意味も持っている。または「水走」と解して灌漑のための引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされる。そこから、水の出始めを表すとし、闇罔象神は峡谷の出始めの水を司る神である。
境内・社叢
鳥居と立派な扁額
参道石段と御堂
入母屋造りの拝殿 拝殿と本殿
懐かしい丸い笠の電燈がほっこりする 拝殿上の歴史のありそうな絵馬
参道を見下ろす