苗村神社(式内 長寸神社)

概 要

社 号 苗村神社
読 み なむらじんじゃ
式内社 近江国甲賀郡 長寸神社
所在地 滋賀県蒲生郡竜王町綾戸467
御祭神 那牟羅彦神なむらひこのかみ  那牟羅姫神なむらひめのかみ 国狭槌尊くにのさつちのみこと
〔配祀神〕大国主神おおくにぬしのかみ 事代主神ことしろぬしのかみ 素盞鳴尊すさのおのみこと
御神紋 州浜
例祭日 4月 20日 苗村祭り 9月 5日 三十三年式年大祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
蒲生郡 11座  大1座  小10座
近代社格制度 旧県社

創建    年代不詳
本殿様式  三間社流造檜皮葺
西本殿 三間社流造 間口二間一尺八寸 奥行二間二尺八寸 向拝一間(国宝)
東本殿 一間社流造 間口一間四尺六寸 奥行一間四尺(重文)

境内摂末社(祭神)

(玉垣内)八幡社 一間社流造(重文) 十禅師社 一間社流造(重文) 恵比須社 綾之社
(東本殿)天神社 佐々貴社 大神宮
(西本殿)龍神社 護国社 不動堂

文化財

(国宝) 西本殿

(重文)
東本殿・八幡社本殿一間社流造(室町時代)・十禅師社本殿一間社流造(室町時代)・神輿庫
楼門 三間一戸入母屋造

「不動明王立像1躯(重文)」
不動明王立像(彫刻)重要文化財 社宝 後奈良天皇奉納口宣案、位記、勅額御書、勅額(重文)

一口メモ

近江国(今の滋賀県)の延喜式式内社数は、155社。大和286・伊勢253・出雲187に次いで4番目に多い。(ちなみに5番目は但馬131、6番目に山城122、以下、尾張121、河内113、伊豆92と多い)

但馬、丹波、丹後、播磨、淡路、因幡・伯耆、出雲、山城(京都府南部)は制覇し。兵庫県下は摂津の2社のみ。大和は数が多すぎてしかも当地から遠いので北部の半分近くに留まっている。したがって、近江国式内社巡りは、ここ数年の目標であった。滋賀県は、琵琶湖の周囲の平野部であり、東海道、中山道、北陸道、伊勢街道と主要道路が集まる交通の要所で、高速道路やバイパスが多く、主要道路からあまり遠くない場所に式内社が連なっているので回りやすい旧国。その近江国式内社のなかでも特に行きたかったのが兵主大社と当社。但馬には兵主神社という社号の神社が全国的に集中しており、その兵主神社の本社と思えるのが、大和の穴師兵主神社と近江野洲にある兵主大社であるからである。また、苗村神社の苗村は天日槍が近江で留まった吾名邑が転訛したものと言われている。

つまり但馬の初代国造となった天日槍ゆかりの地であり、全国的にもそう多くはない兵主神社。その兵主大社が近江だからである。ちなみに竜王町のお隣の野洲は、島根県加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡から大量の銅鐸が発見される前まで、野洲は全国一の銅鐸発見数だった場所である。神社主体で時間がなく立ち寄りたかった銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)もある。

ちなみに今回の帰路はまったく偶然ではあるが、天日槍が近江から若狭、但馬の出石に居住したそのルートとほぼ同じの彦根ICから名神-米原JCT-北陸ー敦賀JCT-舞鶴若狭自動車道で福知山IC経由で豊岡市へ帰る。アメノヒボコが辿ったルートは、中国自動車道山崎ICから含めると、2千年以上昔の道とまったく一致しているのだ。車で早くなったといっても長浜市からは3時間近くかかる。この距離を何日も歩いていた古代の人々(鉄道が通る最近までだが)の行動範囲にはいつも感心するのだ。

歴史・由緒等

創祀年代不詳。延喜式神名帳近江国蒲生郡十一座の中の長寸なむら神社の論社である。

社名苗村神社については、もとこの地域は日本書紀巻六垂仁紀に三年三月新羅王子天日槍の来帰の条に

「於是天日槍自菟道河泝北入近江国吾名邑暫往復更自近江経若狭国西到但馬国則定住処也是以近江国鏡谷陶人則天日槍之従人也云々」*1

という吾名邑であり、後に那牟羅と略称されたが、地名の那牟羅と同音になる長寸の字に替え長寸神社と称した。その後寛仁元年朝廷に長寸郷より門松用の松苗を献上せし所以で時の帝、後一条天皇より苗村の称号を賜り苗村神社と改称したと社蔵文書は伝えている。

祭神の国狭槌尊は安和2年3月28日大和国金峯山より勧請された。現在の西本殿は徳治3年の棟礼によると建保5年に修造、更に徳治3年に再建したことが記されている。更に社蔵文書によると、天文5年3月22日後奈良天皇は、正一位の神位を授け給い、同年4月19日勅使下向の前々日の制礼銘文現存する。ついで神主盛継に修理太夫任官の口宣を下さる。同年5月9日天皇は「正一位苗村大明神」の勅願御下賜、同月12日関白近衛植家太政大臣三条実香以下30人の公卿が当社に法楽の和歌を送られ同19日神主は神前に奉納する等、天文5年3月より5月に亘り皇室との関係頗る濃厚なる事。更に織田信長より馬鞍一具、太刀七振の寄進あり。明治14年郷社に列す。大正9年県社に昇格。

「滋賀県神社庁」

*1  (現代語訳)そこで天日槍は、菟道河(宇治川)を遡って北へ入り、近江国吾名邑にしばらくいたのち、近江を経て若狭国の西に至り、但馬国に至って居住した。近江国鏡村の谷の陶人(すえびと)が天日槍の従者となったのは、これに由来するという。

境内・社叢

[西本殿]

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大鳥居(西本殿)              社号標

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太鼓橋と楼門               楼門 三間一戸入母屋造(国重文)

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太鼓橋

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手水舎

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御由来案内石碑

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拝殿

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左手八幡社 西本殿 幣殿 中門      西本殿 右手十禅師社

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西本殿前狛犬

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西本殿・右 十禅師社 一間社流造(重文)    西本殿(国宝)

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本殿玉垣外右手 護国社

[東本殿 式内長寸神社]

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鳥居                  社号標

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佐々貴社 東本殿 天神社        東本殿

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東本殿                  境内社 大神宮

地名・地誌

地 図

滋賀県東近江市鋳物師町1020

交通アクセス・周辺情報

関連ホームページ http://www.rmc.ne.jp/dragon-kanko/namura-jinjya/

参 考

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