村社 小山神社
概 要
社 号 小山神社
読み こやまじんじゃ
所在地 豊岡市竹野町下塚493-1
旧地名 但馬国美含郡竹野郷下塚村
御祭神
櫛玉命 『国司文書・但馬故事記』
櫛玉命は
御神紋
例祭日 10月10日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 延暦10年(791)
本殿様式
境内摂末社(祭神)
一口メモ
県道1号線を竹野市街地へ向かって北進。下塚区は県道と竹野川の西に位置するが、神社は橋を渡った東、麓に鎮座する。「兵庫県神社庁」の「現在地に近き小山に鎮座していたが、明治初年(1868)現社地に移転。神社裏手の山を小山といい、その麓に遷座したようだ。
歴史・由緒等
創立年月不詳
轟城主垣谷駿河守の鎮守として現在地に近き小山に鎮座し、永禄7年(1564)本殿を再建す。
明治初年(1868)現社地に移転。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。「兵庫県神社庁」
人皇50代柏原天皇(桓武)延暦10年(791)夏6月 小山連義川を以て主政に任じ、道守臣国雄を以て主帳に任ず。
小山連義川はその祖櫛玉命を蕩森 ノ上に祀り、小山神社と申し祀る。『国司文書・但馬故事記』
蕩森は森神社がある通り、今の轟の古名。蕩森の上だから轟の上に当たる下塚区内の小山であろう。上記から、垣屋氏*1が轟城を築く以前には神社はあったので、垣屋氏はその小山神社を鎮守としたようである。
*1 垣屋氏は柿屋、垣谷とも書いた。垣屋と書くものが多いので垣屋氏としている。轟城築城年代は定かではないが垣屋国時によって築かれたと云われる。 垣屋国時は気多郡楽々前城主垣屋隆国の三男で轟城主となったと伝えられる。
境内・社叢
参道
鳥居 手水
狛犬
本殿覆屋 本殿左手境内社
本殿右手境内社
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