村社 竃戸神社
概 要
社 号 竃戸神社
読み かまどじんじゃ
当初は葦田神社(鍛冶宮)
所在地 兵庫県美方郡香美町香住区上岡字上ノ山201
旧地名 但馬国美含郡佐須郷上岡村
御祭神
御神紋
例祭日 10月3日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 一間社流造、正面軒唐破風付、板葺 大正十年( 1921) (神社誌)
籠堂 桁行一間、梁間二間、宝形造、鉄板葺 明治
境内摂末社(祭神)
なし
一口メモ
国道178号線で香住道路佐津インターを過ぎ、奥佐津小学校裏手だが、行き方がわからず苦労した。県道256号線の交番先に東へ旧道を進むと南に神社入口。獣よけの柵を開け、石段を登ると立派な社殿があるが、まっすぐ長い石段あって、こちらが元社なのだろうか?
歴史・由緒等
本村開拓の祖葦田氏の氏神葦田神とも称し白鳳12年9月鍛冶部の創立するところなり。
明応5年(1496)社殿を再建し、明治6年(1873)10月村社に列し、大正10年(1921)4月本殿を再建せり。
「兵庫県神社庁」
人皇40代天武天皇白凰2年(673)秋8月、椋椅(くらはし)部連小柄を以って、美含大領と為し、郡家を長井邑に置く。(今の美方郡香美町香住区小原)
椋椅部小柄は伊香色雄命(イカシコヲ)16世の孫なり。12年(683)夏5月、美含大領・椋椅部連小柄に勅を奉じ、兵馬器械を具え(備え)、武事を講習し、かつ兵庫(ヤグラ)を伊久刀ノ丘に設け、兵器を蔵む(貯蔵する)。
嶋戸天物部命の裔・原造義踏(ヨシトモ)を召し、兵庫の典鑰(テンヤク)*1と為す。原造義踏は、兵主神を伊久刀丘に祀り、兵庫の守護神と為す。(伊久刀丘は 今の香美町九斗から浦上の神ノ浦山あたり?)
また楯縫連(タテヌイノムラジ)彦麿を召し、楯を縫わしむ。
葦田首鞆雄(アシダノオビト トモオ)を召し、刀剣鉾鍬を鍛えしむ。
矢作連鷹取(ヤハギノムラジ タカトリ)を召し、弓矢を作らしむ。
楯縫連彦麿は、その祖・彦狭知命を楯縫丘に祀り、楯縫神社と申し祀る。(いま田宮というはこれなり)浅香村は縦縫氏の部属(ミヤツコ)なり。(今の多田神社 丹生地)
葦田首鞆雄は、その祖・天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)を鍛冶丘に祀り、葦田神社と申し祀る。(岡村の鍛冶宮・今の竈戸神社 上岡)
矢作連鷹取は、その祖・経津主命(フツヌシ)を矢作丘に祀り、矢作神社と申し祀る。(隼人の滝宮)*2『国司文書・但馬故事記』第六巻・美含郡故事記
[註] *1 典鑰 律令制において中務省に属した品官(ホンカン)である。和訓は「かぎのつかさ」。
*2 香美町隼人に矢作神社は現存せず、今は兵主神社がある。矢作神社が兵主神社となったのではないかと想定する。
境内・社叢
本殿覆屋
石段上 こちらが籠堂? 元はこちらが本殿だったかも
地名・地誌
上岡・下岡
葦田首鞆雄(アシダノオビト トモオ)を召し、刀剣鉾鍬を鍛えしむ。
葦田が岡村となり、現在は上岡区・下岡区
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