村社 厳島神社(朝来市和田山町筒江)
概 要
社 号 厳島神社
読 み いつくしまじんじゃ
都夫江神社 天津彦根命 『国司文書 但馬故事記』
所在地 兵庫県朝来市和田山町筒江字宮山1059
旧地名 但馬国朝来郡賀都郷筒江村
御祭神 主祭神
配祀神
天津彦根命 『国司文書 但馬故事記』
例祭日 10月17日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
厳島神社、本殿両手に境内社
一口メモ
鳥居をくぐると右手に池があり、境内社が厳島神社であろう。厳島神社とは厳島(別名宮島)にある厳島神社で、多くの神社で境内社として勧請されている。少し坂を登れば公民館の広場があり神社の裏手に参道がある。行き方が分からずこちらから登ったが、鳥居前まで車で行ける道があった。
歴史・由緒等
創立年月不詳
明治6年(1873)10月村社に列せらる.「兵庫県神社庁」
人皇57代陽成天皇元慶5年秋8月 正八位上、山口朝臣数雄を以て、朝来大領と為す。
都夫江首 政成を以て主政と為し、飛鳥直義資を以て主帳と為す。
都夫江首政成はその祖、天津彦根命*1を賀都邑*2に祀り、都夫江神社と申しまつる。
飛鳥直義資はその祖、天事代主命を賀都邑に祀り、飛鳥神社と申しまつる。『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記
兵庫県神社庁の名称も厳島神社でご祭神も宗像三女神となっているが、これは境内社であろう。宮山の本殿のご祭神は元は、『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記によれば、朝来郡主政となった都夫江首政成が、天津彦根命を祀った都夫江神社であろう。
[註]*1 アマテラスとスサノオの誓約の際にアマテラス(天照大神)の玉から生まれた男神5柱のうちの1柱で、多くの氏族の祖とされる。
アメノオシホミミ(天忍穂耳尊/天之忍穂耳命)
アメノホヒ(天穂日命/天之菩卑命)
アマツヒコネ(天津彦根命/天津日子根命)
イクツヒコネ(活津彦根命/活津日子根命)
クマノクスビ(熊野櫲樟日命/熊野久須毘命)
*2 都夫江が今の筒江であれば、「天津彦根命を賀都邑に祀り、都夫江神社と申しまつる。」とあるが、賀都邑は賀都郷都夫江邑の誤記だろう。
境内・社叢
鳥居 参道右手境内社 厳島神社
参道 手水
拝殿・本殿覆屋 改修中
地名・地誌
賀都郷
『国司文書 但馬郷名記抄』(平安後期925)
秦勝部在住の地なり。故に秦勝部神社あり。秦の酒公を祀る。
秦勝部・建田村・久世田・寺内・都夫江・殿来・秦部・赤淵村・赤井村・比地村・桑原村・和田山
『太田文』(鎌倉期1285年)
久世田・竹田・加都市場・寺内・筒江
右加都庄と云う、また久世田庄と云う
下村・殿村・奥村・藤和・久留引
右安井庄と云う
西枚田・枚田岡・市御堂・法興寺・比地・玉木(今の玉置)・和田山・桑原
右枚田郷と云う
秦勝部は今の加都、建田村は竹田、都夫江は筒江、殿来・殿木は今の殿、赤淵村は枚田、赤井は法興寺、飛鳥は「飛鳥直義資はその祖、天事代主命を賀都邑に祀り、飛鳥神社と申しまつる。」とあるので加都。となると、都夫江は筒江と読みが似ているから今の筒江で間違いないだろう。都夫江は蜊江(ツブエ)の仮名で、蜊はたにしの意味でもある。内陸部でタニシは貴重なタンパク源のひとつだっただろう。
地 図
交通アクセス・周辺情報
JR播但線「竹田駅」より北東へ1400m
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