村社 玉水神社

概 要

社 号 玉水神社
読 み たまみずじんじゃ
所在地 兵庫県養父市玉見字宮ノ上38
旧地名 但馬国養父郡軽部郷垂水村
御祭神 不詳
垂水公の祖、賀保真若命 『国司文書 但馬故事記』
例祭日 10月16日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

天満天神社

一口メモ

国道9号線上筒から大屋町へ向かう県道6号線を西へ。または国道9号線八木から琴引トンネルで県道6号線を東へ。

歴史・由緒等

創立年月不詳
明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

人皇45代聖武天皇天平18年(746) 先帝元正天皇が地方の荒れ地を開かんと、天下に令した「三世一身の制」を定む。然りと言えども三世尽き終われば、すなわち公に還す定めのため、開発を為す者少なし。
聖武天皇は、この制を改め、永く私領と為すごときの制を定め給う。これによって、高位高官はもとより、伴造・国造等の旧族に至るまで、国守・郡司の官を罷め、その土地に住む。そして各々は私領を召し、租庸調の役を免れんため、本籍の人を離して、その耕耘に従はしむ。

ここに於いて軽の吾孫等は因幡国より当国に来たり。軽邑を開く。軽邑部民等改めて軽部と云う。(軽部郷・軽部神社:養父市上箇)
軽の吾孫等は、大国主彦坐命の四世孫、彦白髮命の裔なり。子孫蔓延して聚楽(集落)を為す。武屋・乙屋・滝屋等これなり。(遠屋郷:養父市建屋等)
水を田畑に灌がんがため、垂樋を作る。垂水公の祖、賀保真若命を玉水丘に祀り、玉水神社と申しまつる。
(中略)彦白髮命を各々その地に祀る。

『国司文書 但馬故事記』第三巻養父郡故事記

境内・社叢

  

鳥居                   境内

  

狛犬

  

拝殿                   拝殿・本殿

  

境内社 天満天神社

ムクノキ 県指定天然記念物

地名・地誌

玉見

養父郡軽部郷垂水村
軽部郷
軽部郷は彦坐命の4世孫、彦白髮命の裔・軽我我孫公開拓の地なり。その部族この地に住す。軽部という。軽部神社あり。彦白髮命を祀る。
軽部市場・秦伴部・稲津・紵野*1・上紵野(今の上野)・伊津(今の伊豆)・熊野十二所・迫山(今の左近山)・軽部(順からいえば浅野か?)・垂水
垂水が玉水と変わり今の玉見となったと思われる。

*1紵 (音読み)「チョ」 からむし。イラクサ科の多年草。
『国司文書 但馬郷名記抄』

玉見村 『太田文』

地 図

兵庫県養父市玉見38

交通アクセス・周辺情報

 

参 考

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