概 要

社 号 意富夫良神社
読 み おおふらじんじゃ
式内社 近江国伊香郡 意富夫良神社
別 名 江戸時代は「王布良天王」「田神天王」「牛頭天王」

所在地 滋賀県長浜市木之本町木之本488
御祭神 主祭神 建速須佐之男命タケスサノオノミコト
合祀 大穴牟遅命オオナムチノミコト 猿田彦命サルタヒコノミコト 八意思兼神ヤゴコロオモイカネノミコト 梨迩臣命ナシトミノミコト
御神紋 菊木爪
例祭日 4月2日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
伊香郡 46座  大1座  小45座

近代社格制度 旧県社
創建   白鳳4年(676年)
本殿様式 流造檜皮葺

境内摂末社(祭神)

摂社 豊栄神社、神明宮、末社に天満宮、稲荷社
境内地外に秋葉神社、五社宮、金比羅宮

神宮寺 境内地に隣接して、時宗、田神山観音寺がある

一口メモ

JR木之本駅のすぐ東。北陸自動車道木之本I.Cからも近い。ただし神社付近の道はかつての町の旧道で狭い。近江の神社独特の太鼓橋の石橋。参道に沿ってその左に進むと社務所と参拝者用の広い駐車場がある。

歴史・由緒等

当社の草創は飛鳥時代と言われ、往時は近江国四祓所の一社として大社であつた。裏山の大洞山は古来霊峰として神域視され、山麓一帯は里宮と呼ばれていた。山腹にも三社があり共に天武天皇の御代、白鳳4年(676)の鎮座と伝えられている。麓の宮は王布艮天王社或は天王宮といひ、奈良時代には神宮寺とも称された。
祭神は牛頭天王又は田上天王とも申し、梨迹臣命と合せて、当地開拓の祖神として崇められ、延喜式内社であった。かつては田部地先の北国往還路に一の鳥居があり、旅人が乗馬のまま通るとよく落馬したという伝えがある。
寿永2年(1182)5月、木曽義仲が上洛の途次、当社に祈願した。その時、兜を置いた石を「兜石」と各付け、現存している。
観応2年(1351)8月足利氏八相山合戦の時、将軍桃井若狭守直常が上の宮に加護を祈つた。また豪族井口弾正源正は当社を厚く崇敬し応安6年(1373)12月大般若経を寄進した。
元禄10年(1697)の記録によると山の三社を神前神社猿田彦命、乃弥神社八意思兼神、蟻通神社大穴牟遅命と申していた。
天正年真織田信長小谷城攻略の時田上城をも攻め、城主朝倉義景敗北し、同時に社殿は焼失してしまった。幸い、御神像は御安泰で麓の天王宮に合祀された。
天正11年(1583)賤ヶ獄の合戦に再び兵火に遭遇したが、慶長6年(1601)豊臣秀頼が再建、延宝4年(1676)には井伊玄蕃頭が奉拝している。
明治6年意冨布良神社と改め、明治18年郷社に列し、大正14年県社に昇格した。御神像は、大正10年国の美術鑑定により延喜時代のものであるという鑑査状を受けている。
摂社として豊栄神社、神明宮、末社に天満宮、稲荷社、境内地外に秋葉神社、五社宮、金比羅宮が鎮座される。例祭4月2日

「社頭石碑」

境内・社叢

  

鳥居・社号標             神橋 太鼓橋

 

  

鳥居                  御由緒石板

  

手水舎                 二の鳥居

  

拝殿                  本殿

  

本殿                  天満宮につきものの牛

  

本殿右手に境内社            秋葉神社

  

摂社神明宮                末社天満宮

  

豊栄神社                稲荷社

本殿左に田神山観音寺

地名・地誌

地 図

滋賀県長浜市木之本町木之本488

交通アクセス・周辺情報

参 考

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