新川神社(式内 上新川神社)(野洲)

   

概 要

社 号 新川神社
読 み にいかわじんじゃ

式内社 近江国野洲郡 上新川神社

所在地 滋賀県野洲市野洲69
御祭神 主祭神 須佐之男命スサノオノミコト
配祀神 大物主命オオモノヌシノミコト 奇稲田姫クシナダヒメノミコト
御神紋 抱茗荷
例祭日 5月 5日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
野洲郡 9座  大2座  小7座

近代社格制度 旧郷社
創建   伝)朱鳥元年
本殿様式 一間社流造 間口一間 奥行一間
拝殿様式 入母屋造 間口三間 奥行三間

上新川神社論社は2社
新川神社 須佐之男命 大物主命 奇稲田媛姫 滋賀県野洲市野洲69
新川神社 小楯比賣命 滋賀県守山市立入町123
旧地 滋賀県守山市立入町  北緯35度3分19秒,東経136度0分30秒

境内摂末社(祭神)

大神宮 多賀神社 日吉神社 若宮神社 厳島神社

文化財

一口メモ

新川神社(式内上新川神社)の論社は、野洲川を挟んで対岸に守山市と野洲市に2社ある。野洲川をはさみ守山市立入町は左岸、野洲市野洲は右岸にあたる。当社は野洲市野洲の市街地の細い道が折れ曲がる場所にあり、神社の社頭が分かりにくくたどり着くのにかなり手間取る。

歴史・由緒等

社伝には、天武天皇が大友皇子と野洲川を隔てて皇位を争われた際、勝利祈願をされ成就し即位された。朱鳥元年、造営になったと伝える。後、貞観十一年従五位上仁和元年正五位上に加階された。延期五年には、式内社に列せられた。後、野洲川が度々氾濫し社殿、境内等は、その被害を受け荒廃するに至ったが、その度ごとに、再興の篤志が寄せられた。寛永三年、天領代官芦裏観音寺の奉行で、本殿、拝殿等再興されたが、宝暦元年、火災のため焼失、宝暦三年再建に着工、同四年に上棟、今日に至っている。正徳四年、吉田神道ト部兼敬から正一位新川大明神の宗源宣旨を授けられている。当社は、野洲の町衆、船仲間等の崇敬厚く現在に至る。

「滋賀県神社庁」

境内・社叢

  

鳥居                  社号標

  

手水舎                  勧請釣り

由緒は分からないが参道を横切って初めて見る変わったしめ縄が張られていた。日没近かったので、思わず参拝時間終了という意味だろうかと思ってしまったが、一度しか来られないので怯まず進む。

あとで調べると、正月飾りで道を横切る注連縄に竹の輪が4つ下げられている。これは湖東地方に多く見られる 「勧請釣り」 と呼ばれるものである。この風習は、勧請縄・勧請吊といって、全国にあるらしい。村境(地域・地区の域内・外のさかい)に、呪物を付した注連縄を張る習慣。道切りとも呼ばれる。近畿地方周辺では、福井県若狭地方、滋賀県湖東・湖南地方、三重県伊賀地方、奈良県東部山間部、京都府南山城地域などにまとまって分布するとか。

しかし、参拝日は7月25日。私の地方では正月飾りはどんど焼きで燃やすのだが、次の正月まで飾るのだろうか。燃やすにはもったいない立派な飾りではある。

   

狛犬

  

拝殿                   本殿

  

本殿左手境内社 日吉神社・若宮神社    本殿右手境内社 大神宮・多賀神社

境内社 厳島神社

地名・地誌

地 図

滋賀県野洲市野洲69

交通アクセス・周辺情報

参 考

 - 野洲市