式内 許野(この)乃兵主神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 式内 許野乃兵主神社

式内社 因幡国巨濃郡 許野乃兵主神社
読み:古 コヤノヒヤウズ 現 こののひょうす
江戸時代は「兵主大明神」
所在地 鳥取県岩美郡岩美町大字浦富686
旧地名 因幡国巨濃(コノ)郡
御祭神 大国主神オオクニヌシ(大国主)、素盞嗚尊(スサノオ)

例祭日 4月8・9日 春季例大祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
巨濃(コノ)郡:9座並小

近代社格制度 旧村社
創建     年代不詳
本殿様式   入母屋造 銅板葺

境内摂社(祭神)

一口メモ

岩美町の中心部、岩美町役場の裏手、岩美中学校北上にある。
岩美町には因幡国で式内社兵主神社が2カ所も固まって鎮座するので興味があった。岩美町は鳥取県最東部で兵庫県に隣接し、古くから浜坂町、温泉町など但馬西部と関わりの深い土地柄。麒麟獅子も鳥取県東部から兵庫県西部で行われている伝統行事。

巨濃郡は岩美町全域に当たり、鳥取市福部町はかつては岩美郡福部村だったが、古くは法美郡で、福部村と鳥取市旧国府町になる。岩井郡・邑美郡・法美郡から岩美郡の変遷は著しいので割愛するが、要するに神社に限れば、岩美町から福部町、国府町にかけて山越えでまわってみて、鳥取市千代川以東の因幡国は近しい関係にまとめてとらえるべきであると感じた。許野乃兵主神社の上古の読みではコヤノとあるので、後にコノに変化したようだ。八月八日、暑い日中には長い石段がきつかった。

歴史・由緒等

許野乃兵主神社と佐弥乃兵主神社は直線距離でわずか約1.2kmの近い場所にある。同じ式内社同士でしかも同じ兵主神社がこのように近い郡内の位置にある例はないと思われる。社殿のある山裾平地は祭祀遺跡と推定されている。倒壊すると言われ、今でも鳥居はない。「延喜式の調査」さん

『国司文書 但馬故事記』に、「第45代聖武天皇の天平期 但馬国の大毅(軍団の最高職)正八位上・忍海部オシヌミベの広足を因幡に遣わし、従七位下・川人部の広井を但馬大毅とする。」

日本海側の兵主神社は但馬以外では同じ岩美町に当社と佐弥乃兵主神社2社のみであることから、但馬に隣接する岩美も、日本海側の警護が重要になったのではないだろうか。

境内・社叢

  
社号標                       石段

  
長い石段が続く                   手水舎

  
拝殿


拝殿内

  
本殿


境内社

地名・地誌

地 図

鳥取県岩美郡岩美町浦富686

交通アクセス・周辺情報

岩美町役場南岩見駅入口交差点左折。岩美中学校の北側

参 考

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