式内 倭文(しどり)神社(朝来市)
概 要
社号 式内社 但馬国朝来郡 倭文神社
読み:古 シトリ 現 しどり(しずりとも読む)
江戸時代は「塩田明神」「聖儒大明神」「鮭ノ宮」と称していた
所在地 兵庫県朝来市生野町円山字下代201
旧地名 但馬国朝来郡山口郷
御祭神 天羽槌命(あめのはづち のみこと)
『国司文書 但馬神社系譜伝』天羽槌雄命
例祭日 10月17日(10月第2日曜日ともある)
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
朝来郡(アサコ・あさご):9座(大1座・小8座)
式内社
近代社格制度 旧村社
創建 和同5年(712)
本殿様式 流造銅葺
境内摂社(祭神)
秋葉神社、他1社
一口メモ
但馬一の大川、円山(まるやま)川。播但線・生野駅の北3Kmほどのその生野町円山に鎮座。倭文神社は伯耆国一宮である式内倭文神社(鳥取県)を筆頭に、山陰各地に私が訪ねた式内社だけでも7社もあります。まず「ワブン」とは読めても、「シズリ」「シドリ」とは読めません。倭文とは何を意味するのか?
歴史・由緒等
由 緒
創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し町内円山字鹽谷に鎮座し中古同字下代に遷座せらる近世聖儒大明神、倭織大明神、鮭ノ宮とも称したり正徳3年(1713)社殿大破の為め再建し寛政11年(1799)又之を再建せり
明治6年(1873)10月村社に列し同14年(1881)社殿を修造せり。
-「兵庫県神社庁」-
式内社とは10世紀の初め、醍醐天皇(897~930)の御代に編纂されました延喜式神名帳に記載されている由緒正しい、歴史の古い神社ということです。
但馬の国には131社あり、その内朝来郡には9社あります。
生野町内ではこの倭文(しどり)神社一社のみです。
倭文(しどり)神社(通称鮭の宮)
祭神 天羽槌命(アメノハツチノミコト)
創建年代 和同5年(712)
正徳3年(1713)社殿を修造し遷宮式を行つた時、偶然下流から鮭が遡(さかのぼ)つてきました。村人達は、これをめでたい前兆として喜び鮭の宮と呼ぶようになりました。平成5年3月 生野町教育委員会
「社頭掲示板」
境内・社叢
神橋 鮭の宮橋(通行不可) 鳥居
社号標 手水舎
神社由緒案内板 記念碑
狛犬
拝殿 拝殿扁額
本殿 左境内社 本殿右手境内社 秋葉神社
地名・地誌
円山(まるやま)
但馬最大の一級河川円山川の源流にある。円山川の名前はこの円山集落から。
『校補 但馬考』に朝来郡山口郷丸山。この郷は国の南境なり。上古、浪華平城(ナニワナラ)の都より、当国の往来、みな、播磨路を通りしゆえ、この郷を但馬の入口とするなり。延暦年中、都を平安城に遷されても、中古までは、かくありしと見ゆ。(中略)
村数28分けて3となる。
生野銀山・猪野(イクノ)・奥野・小野、以上皆銀山の内、
竹原野・上生野・簾野・丸山・菖蒲澤・岩屋谷・津村子
右廣谷庄と云う。
黒川枝村也、魚瀧・大外(オソト)
右黒川谷と云う。
山口・口田路・奥田路・立野・新井・羽淵・口八代・奥八代・山本・土肥・平野・老波(シハマミ)・神子畑(ミコガハタ)・佐中
右山口組と云う。
地 図
交通アクセス・周辺情報
国道312号、播但連絡自動車道生野北入口すぐ東
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
但馬の神社と歴史三部作
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