若狭国一宮 名神大 若狭彦神社
概 要
社号 若狭彦神社上社
延喜式神名帳 式内社 若狭国遠敷郡 若狭彦神社二座(名神大)
読み 古 ワカサヒコ 現 わかさひこじんじゃかみしゃ
所在地 福井県小浜市龍前28-7
旧地名 若狭国遠敷(おにゅう)郡
御祭神 彦火火出見尊(ひこほほでみ のみこと・山幸彦)
例祭日 10月10日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
北陸道 式内社352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
若狭国(ワカサ) 式内社42座(大3座・小39座)
遠敷郡(オニフ・おにゅう) 16座(大2座・小14座)
式内社(名神大)
中世社格制度 若狭国一宮
近代社格制度 旧国幣中社
社格制度廃止後 別表神社
創建 和銅7年(714年)
本殿様式 三間社流造
境内摂末社(祭神)
若宮神社・白石神社・小浴神社
一口メモ
国道27号線東小浜駅口交差点を県道35号線で若狭姫神社(若狭彦神社下社)の前を過ぎて龍前にある。
歴史・由緒等
若狭最古の神社。上社・下社の2社からなり、上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)という。別称として郡名から遠敷明神とも呼ばれる。式内社、若狭国一宮で、旧社格は国幣中社。郡名から遠敷明神ともいう。
社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に示現したといい、その姿は唐人のようであったという。和銅7年(714年)9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建された。翌霊亀元年(715年)9月10日に現在地に遷座した。白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社がある。下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)2月10日に上社より分祀して創建された。
『延喜式神名帳』には「若狭国遠敷郡 若狭比古神社二座」として名神大社に列している。上社が若狭国一宮、下社が二宮とされた。
元々は上社が祭祀の中心であったが、室町時代ごろから下社・若狭姫神社に移った。中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有した。
境内・社叢
社号標 一の鳥居・狛犬
随神門 社殿
本殿 神門前の夫婦杉
地名・地誌
遠敷(おにゅう)
遠敷川(おにゅうがわ)は福井県の小浜市を流れ北川に注ぐ一級河川である。和銅5年712年までは「小丹生」と書かれていたという遠敷を流れる。若狭国の最高峰である百里ヶ岳に源を発し北流する。中流には奈良東大寺のお水取りへお水送りの神事で知られる鵜の瀬を始め多くの文化財があり、若狭国府・国分寺が置かれた中心地を流れ、松永川と合流し北川へ注ぐ。
また但馬・丹後・若狭に丹生という地名が点在しており、売布・
京丹後市久美浜町女布
兵庫県豊岡市日高町祢布
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