式内 佐弥乃兵主神社

      2017/01/21

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概 要

社号 式内社 因幡国巨濃郡 佐弥乃兵主神社
読み: 古 サミノヒャウズ 現 さみのひょうす
所在地 鳥取県岩美郡岩美町大字河崎字佐弥屋敷211
旧地名 因幡国巨濃郡

御祭神 天照大神
例祭日 4月13日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国:50座 大1 小49
巨濃郡[コノ] 9座並小

近代社格制度 旧村社
創建     年代不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道9号線の小田入口交差点を左折(南西)し橋の手前の堤防沿いの道縁に南を向いて鎮座。

歴史・由緒等

【由緒】天仁2年(1109)3月鳥羽新帝宸望奉神貢神霊
昭和3年11月10日神饌幣帛料供進神社指定

兵主神社でも式内社は但馬の旧豊岡市・旧出石郡、旧気多郡(日高町)、朝来市に特に多く、因幡(鳥取県東部)の岩美町に特に多い。式外社の兵主神社はいたるところにある。但馬に接する岩美町には、式内社兵主神社は、佐弥乃兵主神社のほかに許野乃(この)兵主神社(岩美町浦富)がある。兵主神社の御祭神は、兵主は本来、「つわものぬし」と解釈され、八千矛神(ヤチホコノカミ=大国主神)を主祭神の神としてオオナムチ(大己貴命)やスサノオ(素戔嗚尊・速須佐之男命)だが、ここは天照大神のみを御祭神とされている。境内社があるが大国主系か稲荷社かは不明。

許野(この)乃兵主神社(岩美町浦富)の許野は、古くはコヤノと読まれていたが「こののひょうずじんじゃ」と変化しているが、岩美郡がかつて巨濃(この)郡だったことから地名の意味だとわかる。許野乃兵主神社と佐弥乃兵主神社は直線距離でわずか約1.2kmの近い場所だ。式内社は郡内に数カ所であり、しかも同じ郷には1社のみである。同じ式内社同士でしかも同じ兵主神社がこのように近い郡内の位置にある例はないと思う。そうすると佐弥屋敷は巨濃郡でななかったのだろうか。

では「さみ」とは何か?人名なのか地名なのか。また付近のどこにあったのだろう。佐弥屋敷という字は遷座する前の神社の場所のようである。

宝賀 寿男氏「塩の神様とその源流」

御塩殿祭の起源と関与者

伊勢神宮(皇大神宮)の大切な年中行事となっている御塩殿祭(みしおどのさい)についても触れておく。同祭は、神宮の供物自給のため毎年10月5日、三重県度会郡二見町(現伊勢市の一部)荘の御塩殿神社で行われる。この神社の西北方の同町字西の御塩浜で夏期土用に汲みあげた鹹水を御塩汲入所に運び、御塩焼所で御塩山の松の薪により「荒塩」に焚き上げ、さらに御塩殿の一角で「堅塩(かたしお・キタシ)」として焼き固めて、御塩として奉納されてきた。この御塩堅固めが最初に行われるのに先立って、同日執り行われるのが御塩殿祭であり、御料御塩固めの安全と日本塩業の発展を祈願して、塩にゆかりの人が参集して盛大に行われている。

その起源は、垂仁天皇の皇女・倭姫命が皇大神を奉じて二見浜に巡行した際、国神の佐見都日女(さみつひめ)が堅塩を献上したことによるものであって、その際、倭姫に随行した大若子命がこの地に御塩浜と御塩山を定めたといわれる。倭姫が伊勢に居たことは疑問があり、また大若子命も伊勢に居たことは疑問があるから、後世に作られた起源伝承であろうが、一応の参考にはなろう。なお、大若子命とは、一般に度会神主の遠祖とされ、その系譜は中臣連の同族で伊勢国造家の人とされる(後段のほうには疑問あり)。佐見都日女の素姓は国神(この土地の神)とあるだけで、あとは不明である。ところが、本稿で検討を続けるうちに、この女性についても手がかりがえられそうになってきた。

伊勢南部の勢田川(宮川)下流の二見・浜郷の地は、古来製塩業が盛んに行われ、伊勢市北部にある大湊も、古くは塩の集散地として発達したといわれる。古代のこの地域に居住したのが宇治土公(ウヂノツチキミ)氏であり、度会郡の宇治・二見郷、すなわち勢田川下流北岸の磯町や宇治を含む伊勢市から二見町にかけて勢力をもっていた。二見浦の有名な夫婦岩の対岸にある興玉(おきたま)神社は、宇治土公の大祖・猿田彦大神を祀ったものといわれる。猿田彦神や興玉神は、塩竈神社の祭神としてもあげられることは前掲した。

興玉神については、一説には猿田彦大神の後裔で、五十鈴の原の地主神の大田命であるともいわれる。大田命は宇治土公の祖であり、垂仁天皇廿五年に倭姫が田田上宮に坐したとき、参上して皇大神の鎮座地として五十鈴川上の地を教示したと伝えられる国神である。こうした塩と二見の地という事情からいって、佐見都日女は宇治土公の祖・大田命との関係が深いことが推される。

『倭姫命世記』には佐美津彦・佐美津姫という対偶の形であらわれ、相参りて御塩浜御塩山を奉ったと記される。おそらく両者は夫婦であろう。名前につけられる「佐見(佐美)」とは地名で、「伊勢国二見浦なる大夫の松と云ふ大樹の生たる山が佐見の山にて今猶彼の山の麓に流るる小川を佐見河といふ」といい(『万葉集古義』)、また、「二見の浦に、佐美明神として古き神まします」(坂士仏の著といわれる『大神宮参詣記』)とも記される。佐見都日女は、皇大神宮の摂社で、二見町大字江村に鎮座する堅田神社の祭神でもある。

宇治土公氏の一族磯部氏は、前掲の磯町一帯に居住していたとみられるが、その一族が居た志摩国答志郡伊雑郷の磯部邑(いま三重県志摩郡〔現志摩市〕磯部町一帯)には、皇大神宮別宮伊雑宮やその付属社としての佐美長神社がある。佐美長神社については、出口延経の『神名帳考証』は延喜式神名帳に掲げる粟島坐神乎多乃御子神社に比定していた。粟島神とは、少彦名神を指すことから、「佐美」がこの神に関係深い語であることが推される。また、因幡国巨濃郡の式内社に佐弥乃兵主神社(鳥取県岩美郡岩美町太田、もと佐弥屋敷という地に鎮座)があげられ、鳥取市街地の東北方十キロほどに位置している。この鎮座地は因幡国造(海神族系統で日下部同族)の領域に含まれていて、その一族が奉斎した神社と考えられる。

以上の事情から、佐美都日女とは宇治土公の祖・大田命の近親であることは確かで、おそらく、その夫とみられる佐美津彦は大田命その人ではなかったろうか。

「塩の神様とその源流」  宝賀 寿男

境内・社叢

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鳥居・扁額                境内

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拝殿・本殿                本殿

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境内社

地名・地誌

地 図

鳥取県岩美郡岩美町河崎211

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

 - 岩美郡岩美町(巨濃郡) ,