天橋立神社
概 要
社号 天橋立神社 (別称 橋立明神)
読み: あまのはしだて
所在地 京都府宮津市文殊643−1
旧地名 丹後国與謝郡
御祭神
正面:豊受大神
左:大川大明神
右:八大龍王(海神)
例祭日
社格等
式外社
近代社格制度
創建
本殿様式
境内摂社(祭神)
なし
一口メモ
文珠から廻旋橋を渡り、もう一つ橋を過ぎて少しばかり行くと、天橋立の一番幅の広い場所に至り、傍らに磯清水(いそしみず)の井戸などあり、茂みの中にひっそりと神殿があります。
歴史・由緒等
天橋立神社は、もとは橋立明神と云われ、対岸の文殊堂の鎮守社として建てられたと伝えられています。
内海側の海岸に石の鳥居があり、大正十四年まではそこから対岸まで渡し船が通っていました。
昔の社殿は立派で、観応二年(1251年)の絵巻物を見ると、広場いっぱいに大勢の参詣人が宴会をして おり、雪舟の「天橋立図」などその他の絵巻物や屏風絵などにも賑やかな人の集まりが描かれています。御神体は「豊受大神」「八大龍王」「大川大明神」で日本神話の創成の物語、龍神伝説、文殊菩薩渡来の説話など、神佛の世界、日本と大陸の融合の空間など、天橋立一帯にただよう気配など感じて、想像するにも楽しいスポットです。
「天橋立観光協会」
境内・社叢
社叢 鳥居
拝殿
磯清水案内板
磯清水
名勝天橋立にはさまざまの碑が建っている
与謝野寛・晶子夫妻の歌碑
神社右手 大砲
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
日本三景天橋立 文殊の知恵の輪灯籠
智恵の輪灯籠の輪を3回くぐれば文殊様の智恵を授かるという言い伝えがあります。
享保11年(1726)刊行の「丹後興佐海名勝略記」巻頭を飾る「丹後興佐海天橋立之図」中、「天橋立之智恩寺」海岸に、すでにこの輪灯籠が見られます。
江戸時代には、輪の中に明かりがともされ、やみを照らし文珠水道(天橋立運河)を行き来する船の標になっていたと言われていますが、龍神を呼び寄せるため、明かりを灯していたとも言われています。
廻旋橋(かいせんきょう)
天橋立廻旋橋(かいせんきょう)
船が通るたびに90度旋回する珍しい橋で、天橋立と文殊堂のある陸地をつなぐ橋です。
かつては「久世戸の渡し」といわれ、てんころ舟で天橋立に渡っていました。大正12年に手動でまわる廻旋橋ができましたが、橋の下を通る大型船舶が多くなり、昭和35年5月から電動式となりました。
多いときには日に50回ほど廻り、観光客の皆さんの目を楽しませると共に、絶好の写真、ビデオスポットとなっています。
智恩寺(文殊堂)
山門 三重塔
日本三文殊のひとつで通称切戸(又は久世戸)の文殊堂として知られている文殊菩薩の霊場です。智恵を授かる文殊さんとして有名で、受験や資格試験などの受験生やその御家族がお参りに来られます。
茶屋通りに面する山門は、黄金閣とも呼ばれる市の指定文化財で、楼上に釈迦如来を中央に両脇士・十六羅漢を安置する、禅宗様式・三間三戸二重門の丹後地方最大の山門です。(拝観料/無料)
参考:天橋立観光協会
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