天皇神社
概 要
社 号 天皇神社
式内 近江国滋賀郡 小野神社 二座(名神大)論社
読み てんのうじんじゃ
別 名 江戸時代は「牛頭天王社」
所在地 滋賀県大津市和迩中146
御祭神
御神紋 梅鉢
例祭日 5月第2日曜日 例大祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
滋賀郡 8座 大3座 小 5座
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 三間社切妻造 拝殿 入母屋造
境内摂末社(祭神)
樹下神社 若宮神社 三之宮神社 松尾神社 大国主神社
文化財
本殿 国重要文化財
一口メモ
小野神社、小野道風神社とともに名神大小野神社二座の論社。天皇神社とあれば、そのまま天皇に関わる神社と思いがちだが、スサノオを祀る。京都八坂の祇園牛頭天王を勧請して和邇牛頭天王社が元の社号だったらしい。
歴史・由緒等
明細書によれば不詳であるが、社伝によると村上天皇康保三年和邇荘が崇福寺領であった時に京都八坂の祇園牛頭天王を奉遷して和邇牛頭天王社と称したと伝えられる。現在の本殿は鎌倉時代正中元年改造の社と云われている。明治九年天皇神社と改称し村社に列せられた。五月八日例祭は古式祭が中心で、卯ノ刻に斎行される南浜よりの神輿入れ、続いて南浜の御供、中浜の御供の奉幣祭、午後の湖岸御旅所まで、五基の神輿による古式の神幸祭は、現在もそのまま斎行されている。
「滋賀県神社庁」
天皇神社は、牛頭天王社と称し、天台宗寺院の鎮守社と伝えられる。祭神は素盞烏尋を祀る。
現在の本殿は、隅柱に「正中元年2月3日釿始・・・」(1324)の墨書があり、よく鎌倉時代の作風を伝える。形式は三間社に一間の向拝をつけた屋根切妻造、桧皮葺の本殿。
全国的に切妻造本殿は遺構が少なく、外観の整った優れた建物である。
昭和63年3月 滋賀県教育委員会 「社頭掲示板」
神社本殿は、全国的に流造の遺構が多いが、当町には、当本殿のように切妻造の母屋に向拝をつけた本殿が3棟あって、全国的にも珍しい。
平成2年3月 志賀町教育委員会
境内・社叢
鳥居
境内 手水舎
拝殿 本殿
狛犬
本殿 本殿左手 樹下神社
樹下神社の狛犬が珍しかったので撮影。滋賀県下では、御上神社の狛犬(平安後期)が現存最古であるが樹下神社の狛犬は鎌倉時代の作品。 本殿右手 三之宮神社・
若宮神社
地名・地誌
和迩(旧字:和邇)
和迩といえば奈良天理市に和迩町という地名があり、式内和爾坐赤阪比古神社 があり和邇氏の聖地とされ、近くの櫟本町に式内和爾下神社があり、和邇氏は古代有力豪族で孝昭天皇の皇子、天足彦国押人命(又名を天押帯日子命)から出たと称していた。大和の現在の天理市のここを本貫地とする。その後有力な支族である大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣等が分岐。小野臣は近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市内)周辺を本拠とした。小野氏は、遣隋使となった小野妹子をはじめ、遣唐使などを務めたものが多く、東北や九州などの地方官僚などを務めたものも多い。漢詩や和歌に優れ、参議にまで昇った小野篁や能書家として知られる小野道風、小野小町などが有名である。
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