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社 号 古宮神社
読み:ふるみやじんじゃ
延喜式神名帳 式内社 播磨国揖保郡 粒坐天照神社中宮
読み:イイボニマスアマテラス
所在地 兵庫県たつの市揖西町小神542
旧地名 播磨国揖保郡
御祭神 天照国照彦火明命(アマテルクニテルヒコホアカリノミコト)
(配祀) 市杵島媛命
例祭日 9月1日
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
揖保郡(イヒホ・いぼ) 7座(大3座・小4座)
近代社格制度 旧県社
創建 推古天皇2年(594)
本殿様式 流造
粒坐天照神社 名神大論社
粒坐天照神社 兵庫県たつの市龍野町日山463
中宮:古宮神社 (粒坐天照神社古社地) 兵庫県たつの市揖西町小神542
奥宮:天津津見神社 (粒坐天照神社古社地) 兵庫県たつの市的場山
梛神社 兵庫県姫路市林田町下伊勢上ノ段
梛八幡神社 兵庫県たつの市神岡町沢田
井関三神社 兵庫県たつの市揖西町中垣内甲799
八幡神社 兵庫県姫路市林田町上伊勢1133-3
粒坐天照神社から西へ同じ山腹の住宅地の奥に鎮座している。好天の日曜日朝8時過ぎ。柵がしてあり紐を解いて入る。どこから入られたのか、門以外にも別に境内に入ることができるのか、地元の方が犬を散歩しながらおられ、不思議そうに「何ですか?」と声をかけられた。「式内社を調べています。」と答えると、納得されたようで微笑まれた。立派な瑞垣で広い境内は小さな社殿のみ。
延喜式に揖保郡7座の一つと記載され、宍栗郡一宮町の伊和神社垂水の海神社とともに播磨3大社の1つです。 神社縁起によると推古天皇2年(594)当地の有力者が神託を受け、的場山(台山)の頂に祠を建て農業の守護神天照国照彦火明命を祀ったのが始まりです。そのとき一粒の稲の種と水田を授かり、これを耕作したところ大豊作となり、一粒万倍したという。以後此の土地はイイボ(粒、揖保、飯穂)の郷と呼ばれる穀倉地帯となりました。室町時代の嘉吉の乱(1441)の兵火で社殿が焼失、揖西町小神に遷座しました。天正9年(1581)竜野城主となった蜂須賀小六正勝が日山の現在地へ遷座、続いて城主になった福島正則が社殿を造営しました。寛文12年(1672)に信州から城主として着任した脇坂家の藩主も尊崇厚く、神域が拡大され、数多くの境内末社を勧請合祀しました。
平成6年には神社創立1400年祭を執行しています。
神社は再三の火災に遭い、現在の神殿・拝殿・祝祀殿は昭和37年(1962)に、拝殿、社務所は同56年に建立されました。
2月24日、5日は菅原道真公を祀る菅原神社の祭礼(天神祭)、7月14、5日は1年の健康を祈念する輪抜け祭、10月には秋祭があってにぎわいます。氏子は龍野、揖西、揖保川三町の3300世帯です。
龍野史談会「社頭掲示板」
由 緒
人皇第32代崇峻天皇、第33代推古天皇の御代、今のたつの市に伊福部連駁田彦という長者あり。邸の裏に杜がありて、推古天皇2年(594)、輝くもの現われる。曰く、「我は天照国照彦火明命の使である。天火明命の幸御魂はこの地に鎮まり、この土地と人々を守り給うて既に千年を越ゆ。今汝の正直、誠実なるに感じ給い天降りまして神勅を授けようとされている。神勅を奉戴し新しい神社を造営して奉祀せよ。すなわち、今ここに種稲を授け給う。これを耕作すれば汝の田のみならずこの里全体に豊かに稔り、この土地は永く栄えてゆくであろう。」と。昇天して去り、あとに種稲が残されていた。この神勅を尊み奉戴することを誓うと、一夜にして千頂もの水田ができた。
駁田彦が中心となり神社を建立奉斎し、またこの水田に授かった種稲を耕作すれば大豊作となり一粒万倍したという。以後この土地は米粒を意味するイイボ(揖保)の郡と呼ばれた。人々は嬉び感謝し、この神社を粒坐天照神社と称して氏神と崇めた。
-「兵庫県神社庁」-
鳥居 手水舎
狛犬
拝殿から本殿を 本殿
JR姫新線「本竜野駅」より西へ2300m
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他