由 緒
当神社は創建年代は不明ですが、人皇10代の時とも養老6年(722)ともいわれています。古書類は兵火のため焼失してはっきりしておりません。
もと河内山田に鎮座していましたが、夢想によって市場村喜多島に奉遷鎮座し、後に現在の地に奉遷することになり一名川内大明神ともいわれています。
延喜式神名帳に所蔵の神社であって元和元年小笠原忠政の社領を寄せられ、慶安以降徳川将軍代々の社領朱印地として十石を賜りました。
その後、小野藩主一柳家より氏神として厚く当社を崇敬され、燈籠・鳥居など多くの寄付を賜り、それらは今尚現存しています。
又地方の大社として一般の人々の崇敬も厚く、明治4年に郷社、昭和17年(1942)6月には県社に列せられました。
現在の本殿は宝暦年間に再建され、続いて神門、拝殿、その他の建物も再建され、その後、幾多の大改修を経て現在に至っています。
長い参道の奥の木立の中に鎮座しています当住吉大社は、華麗な彫刻と自然との調和のとれた霊験あらたかな由緒正しい御社であります。
-「兵庫県神社庁」-