豊岡市 三方地区(気多郡三方郷・楽々前郷) 豊岡市日高町(気多郡) 無格社 兵庫(但馬国)

三柱神社・西宮神社(豊岡市日高町猪子垣)

概 要

社号 三柱神社
読み みはしら神社
別名 ゑべっさん

所在地 兵庫県豊岡市日高町猪子垣字堂の前

旧地名 但馬国気多郡三方郷猪子垣村
御祭神 奥津彦命(おきつひこのみこと) 興津姫命(おきつひめのみこと) 事代主命(ことしろぬしのみこと・西宮神社の祭神)
例祭日 1月10日(ゑべっさん)

社格等

近代社格制度 無格社
創建     年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

なし

一口メモ

豊岡市日高町の区は70ある。明治以降に新しく分区し誕生したものを除き、区内に例外なく村社がある。明治になって近代社格制度における社格のひとつである府県社・郷社・村社と、法的に認められた神社の中で村社に至らない神社は無格社という。正式な社格ではなく、社格を有する神社と区別するための呼称である。ところが旧日高町の村社は全て廻ったが、猪子垣区だけは古い区に関わらず、兵庫県神社庁に無登録のため神社はないのだろうかと疑問だった。隣接の荒川区に宮司さんのおられる式内神門神社があるので、猪子垣区もその氏子なのだろうかとも考えていた。現在世帯数は30軒を下回るという。兵庫県神社庁に無登録なのは、それも関係しているのかもしれない。

歴史・由緒等

鳥居や社号標、社殿、境内などに社号表示が見当たらず、年代由来等が不明だが、ゑべっさんとして遠くからも参拝が多かったという。奥津彦命(おきつひこのみこと) 興津姫命(おきつひめのみこと)は、日常の食べ物を煮炊きし、命をつなぐ大事な竈(カマド)を司る神である。 ※名神大 戸神社を参考されたし

「三方村誌」
明治13、4年の頃、字家の上にありし西の宮神社を合わせ祀る。その他由緒不詳。
本村の東端なる字堂の前に鎮座す。祭日には遠近来たり賽する者すこぶる多し。

無格社 吉野神社
祭神 天水別命 国水別命
字長峰に鎮座す。隣村芝村と共に祭る。

境内・社叢

  
社叢                   鳥居
  
本殿覆屋

地名・地誌

猪子垣(いのこがき)
「三方村誌」(明治)によれば、
本村村尾家の伝説に先祖は城崎郡鶴城(愛宕山)の城主田結庄氏の家臣 桧なるもの、養父郡宿南村西村治郎兵衛の祖先と共に当地に来たり、篠原を開墾して本村開闢の基礎を建つ。桧の墓は前面の田の畔にありと。また当村には昔桧樹林まことに多かりとのこと口碑に残れり。
按ずるに、田結庄氏の滅亡は天正2年12月なれば、桧の本村に来たりしもその前後の年代なるべし。桧とは姓か名か甚だ曖昧なり。石碑にも年月なく単に村尾先祖桧の墓とあるのみ。これを一方桧樹多かりしとの伝説と伴わせ考えれば、あるいは村尾家の祖先が多くの桧樹を有せしによりて、一般に桧をもって呼ばりし来たり石碑を立つる時代には本名はこれを尋ねるに由なかりしものにはあらざるか。
村名の由来も桧樹の多かりしが果たして事実ならば「桧生(ひのきがい)」が何時となく「いのこがき」と転訛したものであろうか。

ところが、もっと古くから「いのこがき」であった史料があった。
『国史文書別記 第一巻・気多郡郷名記抄』に
亥猪民部いのこのかきべ(古語は為能己いのこ訶支部かきべ
雄朝津間稚子宿禰天皇おあさづまわくごのすくねのみこと (人皇19代允恭天皇いんぎょうてんのう) の2年(453?)春2月、

多遅麻毘売命は物部連多遅麻公[1]に命じ、玄猪の餅[2]を奉らしむ。この故に亥猪民部を定め、多遅麻毘売命[*3]この地に鎮座す(崩御)。姫宮神社これなり。
多遅麻毘売命を葬った場所として、姫宮神社一社のみ記載されている。現三柱神社辺りは平地で考えにくいので、姫宮神社は、字長峰(猪子垣の北西)に鎮座する吉野神社ではなかろうか?

(民部については、岩瀧神社参照のこと)

*1 物部連多遅麻公…多遅麻国造 多遅麻国造物部連多遅麻毘古の子、多遅麻毘売命は母か?多遅麻国造物部多遅麻連公武の孫、

*2 玄猪の餅…亥の子餅(いのこもち)とは、亥の子に際して作られる餅。玄猪餅(げんちょもち)。亥の子(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。
主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。

地図

交通アクセス・周辺情報

参 考

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