別表神社 その他

大宰府天満宮 福岡県太宰府市宰府

概 要

社号
読み: だざいふてんまんぐう
所在地 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
旧地名 筑前国御笠郡
御祭神 菅原道真公
『神社公式サイト』

例祭日 例祭 9月25日

社格等

近代社格制度 官幣中社
社格制度廃止後 別表神社

神紋     梅紋
創建     延喜19年(919年)
本殿様式   五間社流造檜皮葺

境内摂末社(祭神)

文化財

国宝

翰苑 巻第三十

重要文化財

本殿 桃山時代(附:棟札9枚、板札2枚)
末社志賀社本殿 室町時代
太刀 銘俊次
毛抜形太刀 無銘
梅月蒔絵文台
太宰府天満宮文書 75巻、25冊、1幅、26通 附:境内図1幅

一口メモ

京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
高校の修学旅行で始めて参拝。その後、日高經友会研修視察旅行 福岡(博多ドーム・麦焼酎天盃視察・大宰府天満宮初詣 平成14年度(2002)3月2日(日)・3日(月)

歴史・由緒等

太宰府天満宮は、菅原道真すがわら みちざね公の御墓所ごぼしょの上にご社殿を造営し、その御神霊おみたまを永久にお祀りしている神社です。
「学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約700万人の参拝者が訪れています。

道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれになりました。
幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、一流の学者・政治家・文人としてご活躍なさいました。

しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられました。

門弟であった味酒安行うまさけ やすゆきが御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました。
延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟しびょうが創建され、延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されました。

その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神てんまだいじざいてんじん」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。

長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れています。
ー『神社公式サイト』よりー

境内・社叢

地名・地誌

大宰府

かつて「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれ「大宰府政庁」が置かれていた大宰府の地は、アジアと日本の文化が交差した場所でした。
アジアに開かれた玄関口として、遠くは西アジアやヨーロッパからの文物なども伝えられました。
大宰府は、九州の政治経済・軍事・外交を司る役所として、奈良時代・平安時代において特に大きな役割を果たしました。

宰府は、平城京や平安京と同じく条坊制を布しき、自然の山河や水城、大野城、基肄城きいじょうに護られた防衛都市であり、風水思想にのっとり築かれた都市でもありました。
中心部には政庁の建物が立ち並び、律令制に基づき1,000人を超える官人が働いていたといわれています。
天智2年(663)、日本が唐・新羅の連合軍に負けた白村江の戦い後、水城や大野城とともに造られ、その後整備拡充されたと考えられています。

現在、大きな礎石が残る大宰府政庁跡は、国の特別史跡に指定されています。

地 図

福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号

交通アクセス・周辺情報

JR・私鉄
西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩5分
JR鹿児島本線二日市駅から西鉄バスで23分
1時間に1本程度の運行のため、時間が合わない場合はJR二日市駅から西鉄二日市駅まで西鉄バス、またはJR二日市駅から徒歩5分の西鉄紫駅から1駅の西鉄二日市駅から西鉄太宰府線を利用するのがよい。


九州自動車道太宰府インターチェンジから15分
九州自動車道筑紫野インターチェンジから20分

大宰府政庁跡
九州国立博物館(用地を天満宮が寄付)
だざいふ遊園地(太宰府天満宮と西日本鉄道の合弁)
二日市温泉 (筑紫野市)
天拝山(別名、天判山 菅原道真公が無実を天に訴えた山)

参 考

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